【名字】納富

【読み】のうとみ,のうどみ,のおとみ,いりとみ,なとみ,なつとみ,おさとみ,のうふ

【全国順位】 3,856位
【全国人数】 およそ3,100人


【名字の由来解説】

現佐賀県と長崎県である肥前国藤津納富分村が起源(ルーツ)である、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)教盛流がある。ほか大蔵氏田尻氏族。佐賀藩にみられる
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最終更新:2022/08/28 12:15:27  最終更新者:りこりこ


納富さんの多い地域 TOP5

都道府県人数
佐賀県 およそ1,300人
福岡県 およそ590人
東京都 およそ270人
神奈川県 およそ160人
長崎県 およそ140人
市区町村人数
佐賀県佐賀市 およそ810人
佐賀県小城市 およそ140人
佐賀県三養基郡みやき町 およそ60人
佐賀県神埼市 およそ60人
福岡県北九州市八幡西区 およそ60人

納富さんの比率が多い地域 TOP5

都道府県比率
佐賀県 0.1587%
福岡県 0.01177%
長崎県 0.01081%
宮崎県 0.00266%
山口県 0.00241%
市区町村比率
佐賀県三養基郡上峰町 0.384%
佐賀県佐賀市 0.351%
佐賀県小城市 0.303%
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町 0.255%
佐賀県三養基郡みやき町 0.251%
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納富さん有名人アクセスランキング TOP10

名前 生年月日 ジャンル 備考
納富 信景 歴史 戦国〜安土桃山時代の武将
納富 俊行 1971年 6月 15日 スポーツ選手 アトランタ五輪選手
納富 信留 1965年 3月 15日 研究者 哲学者
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納富さん みんなの名字の由来
日本では苗字が地名に由来することが多いことから、納富氏については、住所「佐賀県鹿島市納富分井手分」や「肥前国藤津郡納富分村」などの「納富」に由来すると安易に指摘されることがある。 しかしながら、この場合には「納富」に「分」が付いていることから、「納富分」とは、時の土地の権力者から「納富」氏の者に対して与えられた土地という意味合いのものであり、同様に「井手分」は、「井手」に「分」が付いていることから、「井手」氏の者に対して与えられた土地という意味合いのものである。 永禄9年(1566年)に干ばつが起こると、神代長良は、仇敵で戦国武将である納富信景の所領・千布(佐賀市金立町千布)などへの水流を密かにせき止めた。この水の問題で互いは争い、納富勢は劣勢となったこともあり、納富勢の一部は肥前国佐賀に移り住み、活路を見出した。その後、その一部が肥前国鹿島(現在の佐賀県鹿島市納富分井手分などの一帯)に移り住んだ。この肥前国鹿島に移り住んだ納富氏に与えられた土地が「納富分」と捉える方が自然である。 つまり、「納富」の姓を名乗る者は、「納富分」という地名が誕生する前から存在していたことにつながる。 佐賀県鹿島市に存在する「納富分」は江戸時代から記録のある地名であるが、上述のとおり、納富信景は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将であることから、佐賀県鹿島市に存在する「納富分」が「納富」氏の由来とすると、時系列に矛盾が生じる。 また上述のとおり、納富氏は、「肥前国藤津郡納富分村」や「肥前国鹿島」に居住する前に「肥前国小城一帯に移り住んだ」のであり、戦国時代から現在に至るまで「肥前国小城一帯」(現在の小城市一帯)に「納富」姓の者が居住し続けている事実が存在する。 このとおり「肥前国小城一帯」(現在の小城市一帯)に居住し続けている「納富」氏は、「肥前国藤津郡納富分村」や「肥前国鹿島」に由来するものではない。 したがって、「納富」という苗字を安易に地名「肥前国藤津郡納富分村」や「佐賀県鹿島市納富分井手分」に結び付けることには無理がある。 事実、納富信景は戦国時代から安土桃山時代にかけての戦国武将であり、納富信景が「肥前国藤津郡納富分村」や「肥前国鹿島」に由来する事実は存在しない。 一方、日本では苗字が地位・役職に由来することも多い。「納富」とは「富を納める」役職に与えられた苗字と解する方が自然である。 伊勢平氏(別名:桓武平氏)である納富氏は、壇ノ浦の戦い(1185年)など平家没落に際し、伊勢から船で筑前国姪浜に(現在の福岡市西区姪浜)上陸し、その後、山を超え、肥前国小城一帯に移り住んだ、武士(平氏)の一族であり、鎌倉時代から室町時代にかけて、この武士の一族に「納富」の姓が与えられた、と解する方が自然である。
【投稿日】2020/05/28 03:54:22
【投稿者】philosophyさん
みんなの名字の由来 投稿
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納富さん みんなの家紋のはなし
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