【名字】正親町

【読み】おおぎまち

【全国順位】 42,643位
【全国人数】 およそ50人


【名字の由来解説】

公家正親町家は中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)公季流ともいわれる。洞院家からの分家であり、後、更に別れて男爵家が出来た。
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最終更新:2024/05/08 03:17:37  最終更新者:匿名


正親町さんの多い地域 TOP5

都道府県人数
東京都 およそ30人
神奈川県 およそ20人
兵庫県 およそ10人
市区町村人数
東京都品川区 およそ10人
東京都豊島区 およそ10人
東京都立川市 およそ10人
神奈川県鎌倉市 およそ10人
神奈川県中郡大磯町 およそ10人

正親町さんの比率が多い地域 TOP5

都道府県比率
神奈川県 0.00024%
東京都 0.0002%
兵庫県 0.00011%
市区町村比率
神奈川県中郡大磯町 0.022%
神奈川県三浦郡葉山町 0.022%
兵庫県神戸市兵庫区 0.006%
東京都立川市 0.005%
神奈川県鎌倉市 0.004%
※詳細は地図またはリンクをクリック

正親町さん有名人アクセスランキング TOP10

名前 生年月日 ジャンル 備考
正親町 公明 1744年 5月 7日 歴史 江戸後期の公家
正親町 実正 1855年 7月 20日 歴史 侍従長、薬剤師
正親町 公和 1881年 10月 14日 文学者 文学者、華族、実業家
正親町 公通 1653年 8月 19日 歴史 江戸前期〜中期の公卿、垂加神道家
正親町 季董 1874年 6月 19日 歴史 男爵
正親町 実徳 1814年 11月 10日 歴史 幕末の公家、明治期の官僚、華族
正親町 雅子 1803年 12月 14日 歴史 仁孝天皇後宮、孝明天皇生母
正親町 公董 1839年 3月 9日 歴史 幕末の公家、明治期の華族、陸軍軍人(少将)
正親町 町子 1675年 文学者 柳沢吉保側室、歌人、文学者
正親町 實光 1777年 4月 8日 歴史 江戸時代の公卿
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正親町さん みんなの名字の由来
藤原北家閑院流洞院家支流の公家。羽林家、維新後は伯爵。
西園寺公経の孫洞院公守の二男正親町実明を家祖とする。本家洞院家は室町期に断絶したが、清華クラスの家柄であった。
家名の由来は、正親町東洞院南西角に屋敷にあったことに由来しているが、その屋敷が土御門東洞院殿の裏築地に面していたことから、裏築地(うらついじ)もしくは裏辻(うらつじ)と称した。後に分家した一流が「裏辻」と称したのはこれに由来している。公家としての家格は羽林家、旧家、内々。
鎌倉後期〜南北朝時代の当主実明の娘実子(宣光門院)は花園天皇後宮に入った。
江戸時代の家禄は352石6斗。屋敷は広小路通新道にあった。一条家家札。家業は有職故実、雅楽。菩提寺は真如堂玉蔵院。
江戸中期の正親町公通は、山崎闇斎に垂加神道を学んで正親町神道の創設者を称した。また公通の妹正親町町子(実豊の娘)は16歳で江戸に下向し、田中氏を称して柳沢吉保の側室となり、『栄花物語』にならって吉保の出世を描いた『松蔭日記』を著した。このように、文化人を輩出する家系でもあった。
寛政年間の公明は、尊号一件(光格天皇が実父閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとしたのを江戸幕府が妨害・阻止した事件)をめぐり武家伝奏として議奏中山愛親とともに朝幕間で折衝にあたったが、寛政5年に幕府は中山愛親と共に召喚・訊問して事件の責を負わせ、50日間の逼塞に処される。
江戸後期の実光の娘雅子(待賢門院)は、仁孝天皇の後宮に入って孝明天皇の生母となった。
実光の子で幕末維新期の当主実徳とその養子公董(中山忠能三男)は、尊皇攘夷派の公卿として活躍、公董は戊辰戦争で官軍の奥羽追討総督を務め、明治維新後は陸軍少将に任じられる。
維新後明治2年(1869年)6月17日の行政官達により公家と大名家が統合され華族制度が誕生すると、正親町家も公家として華族に列し、明治14年(1884年)7月7日華族令施行で華族が五爵制になると大納言宣任の例多き旧堂上家として公董の子実正が伯爵位が授けられた。実正は埼玉県知事、侍従長、賞勲局総裁を歴任し、貴族院伯爵議員に4回当選。
その息子2代伯爵正親町公和は小説家として活躍し、志賀直哉や武者小路実篤らとともに明治43年に『白樺』を創刊したことで知られる。
正親町伯爵家の邸宅は昭和前期に東京府北多摩郡武蔵野町にあった。
【投稿日】2024/05/08 03:15:48
【投稿者】匿名さん
みんなの名字の由来 投稿
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正親町さん みんなの家紋のはなし
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