【みんなの名字の由来】

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掛見さん
私は京都ですが親からは滋賀県の豪族がルーツだと聞かさせれています。
【投稿日】2019/04/18 19:17:14 【投稿者】まことさん
劔村さん
石川県白山市剣崎町発祥。加賀の一向一揆の首領・石黒土佐守政長が現在の白山市松任付近に居館を構え、「剣崎」を名乗ったとされる。剣崎家はその後、加賀藩政下で土豪として庄屋を歴任。剣崎家は江戸末期から明治期に、劔村家と吉崎家に分かれた。
【投稿日】2019/04/18 16:07:12 【投稿者】太陽の末裔さん
根小山さん
和歌山が発祥
根木に住む小山さんが由来。その後根木家と根小山家と小山家に分家
小山家の発祥は栃木県
【投稿日】2019/04/18 15:13:41 【投稿者】ねこさん
若島さん
「信濃古代史の中の人々 」
一史料上の氏名・地名を糸口に信濃の古代を探る一
松崎岩夫 著
信濃古代文化研究所発行
1986年1月20日発行
より一部抜粋

第十七章 金刺舎人若嶋(島)(かなざしとねりわかしま)

『続日本紀』宝亀三年(七七二)正月二四日条
「信濃国水内郡の人女孺外従五位下金刺舎人若嶋等八人に姓を連と賜う」
(しなののくに、みのちのこおりのひと、にょうじゅ、かなざ しとねりわかしまらはちにんに、かばねをむらじとたもう

これは信濃国水内郡出身の女孺の外従五位下金刺舎人若嶋等八人の人に連の姓を賜わったというものである。
この他のことは全く記されていないので具体的のことは一切わからない。当時においては、国の慶事すなわち 即位・立太子・改元などの時は恩赦、叙位叙勲、または孝子節婦などの表彰が行われるのが通例であったよう だ。しかし若嶋等八人の場合は、このような事とは関係がなかったように思われる。彼女は当時外従五位下という高い位階にあったことを考えると、掌侍・典掃・掌膳等のような一般の采女を管理する立場にいたと見てもよかろうか。
若嶋はかつて采女として信濃国水内郡の 郡領家である金刺舎人家という家族から貢上されて後宮に入ったことになる。彼女が『続日本紀』に顔を出すの は、宝亀三年(七七二)であるが、この時彼女は外従五位下という位階を持っているから、相当の年令に達して いたと見られる。采女は原則として終身制であったので、若い年令の時に後宮に入り、長年のお勤めと、中には 天皇の寵愛を受ける人などあって、彼女等の位階の高さは相当のもので、若嶋のような従五位下は珍しくはなく、彼女らの位階を地方官である、彼女らの父 兄である郡司とを較べてみるとおもしろい。郡司長官である大領でさえ六位どまりが普通であることを思えば、 若嶋の位階の高さが理解されるだろう。

卑姓であったものが、貴姓を賜わるという例も見られる。金刺舎人若嶋はこの例に入る。すなわち舎人 (とねり)という姓(かばね)から連(むらじ)という姓を賜わったのである。
「采女の名前は大化前代は国名で呼ばれたことから、当時その国を治めていた国造家から采女が差し出されたように思われる。時代が下がって律令制下になると、采女には郡の名が付されて、「水内郡采女」というようになり、 郡領の家の女子が貢されるようになった。古代においては各氏はそれぞれ姓があり、それによってその氏の出自、家柄とか職掌がわ かるようになっていた。その種類も多くあったが中でも臣と連が最も高く、またその中に大臣(おおおみ) と大連 (おおむらじ)があり、これらが国の政治の中枢をになっていた。
さて彼女は他の八人と共に、宝亀三年(七七二)正月二四日に連を賜わった。地方でこそ舎人といえば天皇側近の警衛に任じた者とし、名誉に思うようであったが、中央においては舎人自体の地位は低く、姓としても卑姓 の部類に入るもので、彼女が新らしく賜わった連とは大きな違いがあった。
そもそも連という姓は、大和朝廷成立前から、すなわちわが国を統一する前から、または統一過程の中で、朝廷と主従関係にあり、長期にわたり、困難の多かった統一のための戦いや事業をすすめて来た氏族に与えられる 姓であった。そして国内統一をなしとげ、政権を獲得してからは、部民を統率してその長となり、皇室に仕える ようになった。従ってこの連の姓の氏族は、天孫・天神系が多く、その中でも知られた氏族は大伴氏・物部氏・ 中臣氏などであった。この連の姓は近世の例でいうと、徳川氏の三河時代から、その家臣として苦楽を共にした譜代に当ると考えると理解し易い。若嶋は舎人という卑姓から貴姓の連姓を賜わった理由は、彼女が内廷において長く奉仕したことによるか、または高い信頼を受けたか、あるいは天皇に気に入られていたかなどによるものと思われる。
【投稿日】2019/04/18 10:40:19 【投稿者】創作人形若島さん
数田さん
石川県金沢市に住んでいた。
その後に穴水町へ。
数田
【投稿日】2019/04/18 09:45:21 【投稿者】8chiyoさん
さん
熊本県球磨郡球磨村一勝地に、淋(そそぎ)という地名があります。
【投稿日】2019/04/18 09:03:13 【投稿者】ちば子さん
椊田さん
「そねた」と読む人がいます。
【投稿日】2019/04/18 08:48:52 【投稿者】ちば子さん
祖徠さん
「祖徠」ではなく、
「徂徠」かもしれません。
【投稿日】2019/04/17 23:28:01 【投稿者】ちば子さん
﨤町さん
「そりまち」と読む人がいます。
長野県に多くみられます。

日本では「﨤」は「返」の異体字とされているようです。
「返町」(そりまち)さんもいます。
【投稿日】2019/04/17 22:58:53 【投稿者】ちば子さん
子川さん
亡くなった父の話では、尼子一族の流れ、とか言っていました。今の坂出、綾歌郡の出身です。現在呉に住んでいます。
【投稿日】2019/04/17 20:43:54 【投稿者】テーサンさん
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