【みんなの名字の由来】

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城堀さん
私の場合は「しろほり」ではなく、「じょうぼり」と読みます
【投稿日】2017/11/17 08:24:49 【投稿者】城堀さん
上松さん
上松(うえまつ)姓の祖父が東京都三宅村出身で、祖先のお墓も三宅村にあるが、お墓の家紋が削れていて家紋が不明との事。
【投稿日】2017/11/17 04:34:01 【投稿者】キタキタさん
更田さん
「ふけた」と読む人もいます。
【投稿日】2017/11/16 22:10:39 【投稿者】ちば子さん
勢賀さん
烏山藩に実在した藩士、曾祖母の実家の名字です。
【投稿日】2017/11/16 21:07:06 【投稿者】にくやんさん
原尾さん
長崎県南島原市有家町に”原尾”と言う地名があります。この場所は江戸時代の1636年”島原の乱”の中心地です。私は有明海を挟んだ熊本県玉名郡”の出身です。庭先から島原半島の雲仙岳を毎日見て育ちました。熊本でも原尾と言う姓は私の一族のみです。
天草の乱の折、肥後細川藩の要請で近くの菊池川より100艘以上の川船が徴用されたとの事実が玉名郡和水町の教育委員会より発表されています。この船が原城で負傷した少年の一人を連れて帰ったが、公に出来ない為、口伝えに子孫に伝えられ、明治時代になってから、原尾と言う姓を付けたのではないかと思うのです。
南島原市の原尾には”称名寺”と言うお寺が現存しており、古文書も沢山有るようですので、もしかしたら何かが分かるかも知れません。私も一度だけこの寺を訪ねた事が有りますが、残念ながら古文書を読むことは出来ませんでした。ただこのお寺と熊本との関係は非常に深い事が古文書の一部で分かりますた。
私が調べた範囲では、インターネットに出ている”原尾さん”は殆ど祖先は有明海周辺の出身者です。これらは全て島原の乱に由来するのではないかと思ていますが、江戸時代に徳川幕府が厳しく取り締まったため、表に出す事が出来ず、徳川が潰れた明治維新後に”原尾”姓が復活したのではないでしょうか?
何かのご参考になれば幸いです。
【投稿日】2017/11/16 20:42:45 【投稿者】原尾さん
穎川さん
「頴川」の異字体です。頴川も穎川も明時代に中国大陸から来た明朝の遺臣に由来する名字とされます。それ以外に、日本統治時代の台湾に由来する人々もいます。後者の場合、元の名字は「陳」です。中国の河南省頴川(えいせん)に由来するため日本統治時代にこの名字を名乗ったといいます。
【投稿日】2017/11/16 17:18:46 【投稿者】穎川さん
畦崎さん
畦の山という山がある。 そこに一番近い集落を畦花(もとは端もしくは鼻)と呼び、その集落でもさらに山に近い人が畦崎(先)と名乗った。
【投稿日】2017/11/16 12:32:38 【投稿者】チップイン素ダボさん
満生さん
九州北部の豪族「満井氏」でしたが、それが転じて満生(みついき)になりました。本は橘氏でしたが、土岐康行の乱で負けた土岐氏の落人を迎え入れたため、源氏であるという言い伝えがあります。
【投稿日】2017/11/15 23:26:12 【投稿者】満生さん
橫井さん
読み方「よこい」
横井の異形
【投稿日】2017/11/15 20:29:30 【投稿者】つーさん
橫山さん
読み方「よこやま、よはやま」
「横山」の異形
【投稿日】2017/11/15 20:28:42 【投稿者】つーさん
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