【名字】高麗

【読み】こま,こうらい,こうま,こうれい,こうり,たかれい,たかつぐ,たからい,たかよし,たかま

【全国順位】 4,458位
【全国人数】 およそ2,500人


【名字の由来解説】

高麗国王、高麗朝臣などの高句麗帰化族のほか現東京都埼玉県広域、神奈川県北部である武蔵国巨摩郡の丹党中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)などにもみられる。
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最終更新:2024/07/21 00:22:29  最終更新者:Pタロー


高麗さんの多い地域 TOP5

都道府県人数
東京都 およそ1,000人
埼玉県 およそ380人
神奈川県 およそ360人
群馬県 およそ300人
千葉県 およそ100人
市区町村人数
東京都三鷹市 およそ260人
東京都八王子市 およそ230人
神奈川県相模原市 およそ180人
東京都板橋区 およそ140人
群馬県甘楽郡甘楽町 およそ110人

高麗さんの比率が多い地域 TOP5

都道府県比率
群馬県 0.01591%
東京都 0.00763%
島根県 0.00644%
徳島県 0.0056%
埼玉県 0.00533%
市区町村比率
群馬県甘楽郡甘楽町 0.858%
群馬県甘楽郡下仁田町 0.243%
東京都三鷹市 0.141%
東京都八丈町 0.121%
群馬県安中市 0.078%
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高麗さん有名人アクセスランキング TOP10

名前 生年月日 ジャンル 備考
高麗 啓一郎 1980年 7月 9日 政治家
高麗 邦彦 1953年 11月 7日 その他 裁判官
高麗 若光 歴史 奈良時代の豪族、高句麗寶臧王子息、高麗王
高麗 大山 歴史 奈良時代の貴族、遣高麗大使、遣渤海大使
高麗 聖雲 歴史 奈良時代の僧、高麗王若光三男
高麗 武家 歴史 桓武平氏秩父氏系高麗氏祖
※上記は直近一週間のアクセス数Top10です。すべての高麗さん有名人は以下から確認できます。

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高麗さん みんなの名字の由来
前項では古代日本における渡来系高麗氏を紹介したが、ここでは中世以降の武家高麗氏の系統をいくつか紹介する。



・桓武平氏秩父氏系高麗氏。秩父武基の長男・武家(たけいえ)が高麗氏を称した。11世紀半ばに埼玉県秩父市からほど近い、現埼玉県日高市、旧高麗郡地域に移住し拠点にしていた坂東平氏の一派であり、一族に信濃白河氏、備中赤木氏、越後色部・本庄氏等がある。この高麗氏も、先に入植しておりおそらく郡司層や社家、在庁官人化していた王姓や朝臣姓の渡来系高麗氏となんらかの関係があると考えられており、姻戚関係があったと推測することも可能である。南北朝期に北朝側につき活躍した高麗季澄、高麗経澄などが知られる。


・また他に武蔵七党のひとつ丹党高麗氏がある。こちらは12世紀半ばに高麗郡地域に移住し、高麗経家なる人物が高麗五郎を名乗ったという。鎌倉幕府御家人となり、1190年、源頼朝入洛の際、経家の子・高麗太郎実朝が先陣随兵として活躍したことが記録される。
【投稿日】2024/06/09 00:53:20
【投稿者】匿名さん
武蔵国高麗(こま)郡(現埼玉県日高市・飯能市の一部)は、716年、朝廷により、駿河等7ヶ国に居留していた旧高句麗からの渡来系遺臣・移民総勢1,799人を武蔵国一部に移し、武蔵国中部の入間郡西部を分割した小郡として成立した。初代郡司は高麗若光で、666年に高麗の副使として天智天皇に貢ぎ物を捧げている。背景には、朝廷の意向としてこの時代の東国開発政策に大陸渡来系や蝦夷系俘囚等も用いたいという思惑があったと考えられる。
 


・王姓高麗氏は、高麗王(こまのこにきし)氏といい、王(コニキシ)とは古代韓語で王族を指し、百済王氏などとも共通して朝廷から外国の王族の後裔に与えられたカバネである。
氏祖高麗若光は別名を「玄武若光」といい、玄武は「黒・北」に通じるため、北部(絶奴部)末裔と考えられる。
『日本書紀』天智天皇5年(666年)10月26日条に、高句麗から日本に派遣された使節の一員に玄武若光なる人物がいたとの記述がある。
ついで『続日本紀』大宝3年(703年)4月4日条に、従五位下高麗若光に王(こにきし)のカバネを与えたとの記述がある。但し、『日本書紀』の玄武若光と『続日本紀』の高麗若光が同一人物ではない可能性もある。
高麗若光は使節ではなく、高句麗王の息子であって帰化した際、王(こにきし)の賜与を受けたとみるべきである。
高句麗は白村江の戦い等を含む7世紀東アジアにおいて、唐と新羅によって668年に都が滅ぼされており、その王族、遺臣、知識人、技術者等が日本に亡命を余儀なくされており、若光はその王族を代表する立場にあったかと思われる。
現在の日高市には高麗川が流れ、また高麗王若光を祖先として祀る祖廟から発展したとみられる高麗神社があり、日本人のみならず駐日韓国大使らの参拝もあるという。また埼玉県日高市新堀にある聖天院勝楽寺は高麗氏の菩提寺で、若光三男とされる僧侶、高麗聖雲が建立した。寺の雷門手前右側に、若光の墓とされる高麗王廟があり、聖天院本堂左側には若光の銅像がある。
高麗王氏は奈良時代律令制下の日本にあって当地の開発をリードしたと考えられ、郡域も徐々に拡大している。のちに王姓高麗氏は同高麗神社の社家として土着化して、中世の習合時代には修験者として別当を務めており、現在の宮司は若光から数えて60代目とされる。若光系の高麗氏としては、この家系が知られているのみである。高麗神社には若光を祖とする『高麗氏系図』が伝来する。


・朝臣姓高麗氏は、飛鳥時代における背奈福徳という人物を祖とする。背奈福徳は第19代高句麗王・広開土王の後裔で、その七世子孫である延興王(延典王)の子孫を称する。
750年(天平勝宝2年)には、高句麗第19代広開土王5代孫背奈福徳後裔の福信ら一族が、朝臣の姓を与えられる。当時、渡来人系氏族に朝臣を与えるのはきわめて異例であった。なお、のちに福信は氏を「高倉」と改めている。

同族に高句麗第22代安臧王3代の孫から発祥した狛氏があるという。
【投稿日】2024/06/09 00:39:54
【投稿者】匿名さん
みんなの名字の由来 投稿
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高麗さん みんなの家紋のはなし
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