【名字】川勝

【読み】かわかつ,かわかち

【全国順位】 2,387位
【全国人数】 およそ6,100人


【名字の由来解説】

現京都府北西部と兵庫県東部である丹波の有名氏族、秦氏ともいわれる。八戸藩、棚倉藩、八幡藩、忍藩。現岐阜県である美濃などにみられる。
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最終更新:2018/02/18 11:08:12  最終更新者:秦河勝


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川勝さん みんなの名字の由来
川勝家は、秦河勝を祖として秦氏として広隆寺に秦河勝の木像がある。

足利家の武公衆として代々川勝家は将軍家に仕え戦国時代には丹波国に複数の城を持ち、乱世となり足利輝氏が暗殺されてからは、信長に仕えて明智光秀の与力として丹波衆である国人を、信長側として戦い平定をし信長より感状を拝領したとある。

この頃の川勝家の当主は川勝光照と記録にあるが、恐らくこの戦いで命を落としている。文献が少なく川勝光照→川勝継氏→川勝秀氏と当主が変わったのか同一人物なのかはわからないが、恐らく継氏が光照と名乗りを変えて、川勝秀氏に当主を譲ったのだと考えられる。

信長から拝領した感状には不退覚悟とあった。丹波国の平定は猛烈な丹波衆の抵抗で明智光秀は1度目は退いている。

名高き武士と世に言われ、武田信玄、長宗我部元親と並び称される丹波の赤鬼こと赤井忠家が、波多野家と共に壮絶な武人としての戦いを繰り広げた記録が残る。川勝家と縁がある方にはこの頃の文献は是非見て頂きたい。川勝家は信長、秀吉、家康と見事に渡り歩き江戸時代には旗本として明治まで生き残っている。

戦国時代を生き抜いた、先祖の川勝継氏、川勝秀氏は特に素晴らしい川勝家のご先祖様です。

当主川勝継氏は明智光秀とは武公衆からの流れもあり懇意となり、丹波平定の後光秀の側室の娘と長男の川勝秀氏は血縁関係となった。
この2人の間に生まれた子供は天皇家と血縁関係を持つ人が誕生している。

川勝秀氏は、豊臣秀吉から秀の一文字と兜を拝領している。
徳川政権となり赤井忠家の城を受け継いだ、1万石以上あった殿様で娘を公家の西洞院家に嫁がせている。

西洞院家は旧家で、川勝秀氏の娘と血縁を持ち子供が霊元天皇の側室となり子供も生まれている。残念ながら早死してしまっているが。

天皇家も戦国時代には信長や秀吉、家康からの圧力もあり、特に信長の思想は天皇家の存続を脅かす程だったと考えられる。

これは私個人の意見で裏付ける資料がある訳ではないが、本能寺の変は天皇家の意向により強くなりすぎた織田家の崩壊を狙う意図で、信長の命を奪った。

足利義秋や近衛前久が光秀、秀吉に根回しして、信長暗殺を依頼したと考えている。

光秀と秀吉は結託して、直前に迫った信長時代の到来後の自分達の未来を考えて、家臣団や領地を信長はそのままにしてくれないと考えてしまう経緯が存在したと考えられる。

織田家の古参の林家、佐久間家の領地没収。明智家の長宗我部家との外交を無視した判断。
織田家の一族の多さを考えて、膨らみすぎた軍団長としての自身の立場と配下と領地を奪われると考えて、光秀は信長の殺害。
秀吉は光秀を裏切り、自分が信長の後を狙う考えでいたと考えている。
細川幽斎も明智家とは懇意で協力するはずが、本能寺の変の後協力せず剃髪して光秀は秀吉に敗れた。
中国地方にいた丹羽家、柴田家は雪国で足止めされたとはいえ清洲会議では家臣団中心での織田家の存続という決断をした所をみると、本能寺の変は織田家家臣団の同意もあったからこそだと考えている。
本能寺で秀吉と結託して光秀が信長を打ち滅ぼす予定を、秀吉に裏切られて光秀は死んでしまったと考えている。中国大返しとは普通に考えたら無理がある。

川勝家としては、明智光秀の天下人としての時代が来ていればと、タラレバの話をしたくなってしまう。

光秀は、信長よりも年上で歴史ドラマみたいな美しい裏切り者ではなくお爺さんにあたる歳で、側室もいて家臣は古参は少なく新しい軍団であり、川勝家は与力という立場で、光秀との主従関係はなく信長の家臣で光秀の軍団に組み込まれた立場であった。だから明智家での立場は高く急速な家臣団の編成の必要があり光秀は娘を川勝家に嫁がせて、血縁関係を結び家臣団に組み込もうと考えた。事実から考えて明智家が本能寺の変を成功させれば年齢的にも長くは続かず、明智家の血縁者として川勝家は天下人となる可能性も川勝秀氏にはあったのではないかと考えている。歴史は面白い。私の家紋は五つ鑑に釘抜き紋といい、釘抜き紋は川勝家の家紋です。
光秀の桔梗の紋と織田家の木瓜の紋の中に釘抜き紋がある家紋です。

明智光秀は土岐氏の一族で、織田家では能力や将軍家との繋がりや天皇家との関係を信長から重用され、織田家で1番の領地と軍の強さを誇っていて、光秀も信長には格別のお引き立てと感謝をしていたとあります。

自分の仲の光秀のイメージは、ドラマや映画のイメージではなく、熟練された知識人で野心家で天下取りの意識のある優れた老兵だと感じています。

明智家は秀吉に敗れて時代の表舞台からは長らく消えてしまいましたが、坂本龍馬として明治にまた現れますし、その頃の川勝家も江戸城無血開城の責任者として現れます。

話は戻りますが、織田信長が京都に入る前に真上に位置する丹波国を平定する必要があった。丹波は山深く足腰の強い丹波衆は兵の強さは昔から日本一と呼ばれ、酒呑童子も丹波にいた族でした。丹波衆は将軍家の軍団で最強でした。

信長は明智光秀に丹波平定を命じ、丹波国が領地だった川勝家は信長側として丹波衆と戦い武功をあげた。

武公衆であった継氏、光秀、幽斎、は将軍家の戦闘集団として京都から散らばり各地に自分の領地や将軍家の領地をおさめるために散らばり、独自のネットワークを持ち信長政権に移行する上で、細川幽斎、明智光秀など活躍した武将も武公衆であり川勝家と明智家と細川家は血縁関係にある一族です。

明智光秀は信長からの指示で細川幽斎の長男で後に肥後熊本藩初代藩主の54万石となる細川忠興の正室の細川ガラシャは光秀の娘です。光秀は川勝秀氏と細川忠興に自分の娘を嫁がせている程、当時の川勝家には力がありました。何故このように戦国時代に時代の中心にいたのに、川勝家が教科書に出てこないかというと、素晴らしいご先祖様様に一つだけ間違いがありました。

天下分け目の関ヶ原の戦いにおいて、万石旧の大名として文献に残っていますが、豊臣側からの参戦をしてしまい、改易となり3500石まで家康に領地を減らされてしまいました。

、、、。

川勝秀氏は関ヶ原の戦いの後、徳川家康に許され、黒川城主となりましたが後に一国一城令によって城主ではなくなりましたが、旗本として明治まで残り、明治になる直前には将軍家の若年寄として江戸城無血開城の責任者を務めています。

歴史の節目節目で逆に回りましたが、川勝家のご先祖様は立派な方ばかりです。

同じ川勝の皆様、秦河勝、川勝光照、川勝継氏、川勝秀氏、並び称されるような立派な一族として頑張りましょう。

長々とすいませんでした。
間違いや、推測もありますが、自分なりに一生懸命調べた内容です。

皆様も川勝家で知ってる事があれば是非教えて下さい。

宜しくお願いします。

【投稿日】2018/02/18 11:07:25
【投稿者】秦河勝さん
みんなの名字の由来 投稿
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川勝さん みんなの家紋のはなし
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