【名字】綴木

【読み】つづるき,つづりぎ,つづれぎ,つづるぎ,つづりき,つづき

【全国順位】 32,243位
【全国人数】 およそ90人


【名字の由来解説】

続、綴、綴喜と語源をともにする。中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)利仁流斎藤氏族、小野横山党などにもみられる。
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最終更新:2022/01/03 12:48:29  最終更新者:ジュン


綴木さんの多い地域 TOP5

都道府県人数
福岡県 およそ50人
東京都 およそ20人
広島県 およそ10人
徳島県 およそ10人
和歌山県 およそ10人
市区町村人数
福岡県北九州市門司区 およそ50人
広島県広島市東区 およそ10人
東京都多摩市 およそ10人
東京都西東京市 およそ10人
和歌山県橋本市 およそ10人

綴木さんの比率が多い地域 TOP5

都道府県比率
福岡県 0.00103%
徳島県 0.00102%
和歌山県 0.0004%
広島県 0.00033%
山口県 0.00027%
市区町村比率
徳島県海部郡美波町 0.057%
福岡県北九州市門司区 0.053%
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広島県広島市東区 0.008%
和歌山県橋本市 0.006%
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綴木さん みんなの名字の由来
まず,綴木という姓に対して複数の読み方がある.「つづるぎ」,「つづるき」,「つづりき」,「つづりぎ」,「つづき」等である.綴木家は元々「綴喜(つづき)」と名乗っていた.また,綴喜という姓の他に「綴,筒木,筒城」という姓も存在していた.「綴木 大」氏が東京大学付属図書館で調べたところによると「つづ」と言う音を持つ姓は「天皇家につづく」と言う意味から天皇家により直々に与えられた姓であり,まだ武士の存在しない時代から天皇家直属の護衛集団であった.「継体天皇 筒城宮跡」は現在の綴喜郡に含まれる田辺市に位置する同志社大学京田辺キャンパス内にあり,「継体天皇筒城宮跡伝承地」という碑が同志社大学のキャンパス内にある.綴木家のルーツとなる綴喜氏はこの辺りの領土を天皇家により与えられたと考えられる.第26代継体(けいたい)天皇(450年頃-推定531年3月10日),(在位:推定507年3月3日-推定531年3月10日)により,都は一時期,筒城宮に遷都している.

綴木家は平安時代において,武蔵七党と言われる板東武者,即ち関東の武士集団になっている.昭島市史,第五編:律令国家時代,第四章:貴族政治と武士の勃興,第三節:武蔵七党と多摩郡によると綴喜家は武蔵七党の一つである綴喜党(綴党とも言う)と呼ばれていた.平家一門であったにも関わらず,平家により現在の綴喜郡一帯から関東へ追いやられたものと考えられる.綴木家には「平家の落人」という古くからの言い伝えがあったがこのことであろう.平家物語:第九巻:逆落の冒頭では一ノ谷の様子が合戦が次の様に描かれている.「これを手始めとして,三浦,鎌倉,秩父,足利,さらに猪俣,児玉,野井與,横山,西,綴喜,及び私市の武蔵七党の兵どもが動き,源平互いに入り乱れ,喚き叫ぶ声は山を響かし,馳せ違う馬の音は雷のごとく,射違う矢は雨のごとき有様である」.即ち,綴喜家が武蔵七党の一党で,源義経と共に兵を率いて戦った様子が記載されている.これは綴喜家が当時既に板東武者であり,源氏の軍門として源義経と共に西に進軍したと平家物語から判断できる.

綴木家の分布から見られるように,京都から西に向かうにつれて綴木家が存在してる地域は,それぞれでの合戦での恩賞として与えられた土地であると推定される.特に源平合戦の最後となった壇ノ浦の戦いでの勝利により,綴喜家は現在の門司港付近に領土を与えられたと考えられる.後に鎌倉時代に入り綴喜から綴木に改姓したと考えるのが自然である.

明治維新後は,広大な綴木家邸宅を綴木公園(現在の料亭:伯翠庵はその一部)として築き,門司市民に桜の名所として開放するほどの栄華を誇ったが,今は,綴木公園の存在すら知られておらず,長い歴史を持った綴木家も今や栄光の影を失いつつある.現在は数世帯の「つづるぎ」と綴木姓を名乗る綴木家一門が門司港付近に住んでいる.
綴木
【投稿日】2022/01/06 08:02:34
【投稿者】九州綴木家さん
綴木という姓に対して複数の読み方がある。「つづき」,「つづるぎ」,「つづるき」,「つづりぎ」等である。綴木家は元々「綴喜(つづき)」と名乗っていた。また,綴喜という姓の他に「綴喜,筒木,筒城」という姓も存在していた。「綴木 大」氏が東京大学付属図書館で調べたところによると「つづ」と言う音を持つ姓は「天皇家につづく」と言う意味から天皇家により直々に与えられた姓であり,まだ武士の存在しない時代から天皇家直属の護衛集団であった。「継体天皇 筒城宮跡」は現在の綴喜郡に含まれる田辺市に位置する同志社大学京田辺キャンパス内にあり,「継体天皇筒城宮跡伝承地」という碑が同志社大学のキャンパス内にある。綴木家のルーツとなる綴喜氏はこの辺りの領土を天皇家に与えられた。第26代継体(けいたい)天皇(450年頃-推定531年3月10日),(在位:推定507年3月3日-推定531年3月10日)により,都は一時期,筒城宮に遷都している。

かくして綴喜家は天皇家直属の武士集団と成った。その後も天皇家から現在の京都府綴喜郡を領地として賜り,天皇家を護衛する武家として,綴喜から綴木に改名し,綴木家は綴喜郡を統治した。

しかしながら,その後の源平合戦の折に,平家により京都からさらわれた安徳天皇を護衛する為,綴木軍は平家軍に加わるが,壇ノ浦の合戦で,平家軍が劣勢となる中,安徳天皇は関門海峡に身を投げてしまった。

北九州市門司区に本家を置く当家には先祖からの古い言い伝えがあった。その言い伝えとは「綴木家は平家の落人だ」と言うことである。壇ノ浦の合戦で敗れた平家軍に加担した綴木家が壇ノ浦のすぐ側の門司区に広大な土地を持っていたのは,何とも理解しがたい言い伝えである。要は主君である安徳天皇を失ったことで平家に弓を引き源氏側に「寝返った」綴木軍と,最後まで平氏と共に戦い続け,言い伝え通り「落人となった」綴木軍に分裂したと推測される。

実際,平家の落人が多い徳島県にも綴木家は存在しており,安徳天皇を失ったことで時代の流れに翻弄された二つの綴木家が存在することとなった。徳島の綴木家付近には,「安徳天皇の墓」が存在し「安徳天皇と徳島まで落ち延び安徳天皇を最後まで護り続けた」とされている。

主君である安徳天皇を失い源氏に加担することとなった綴木家は,その結果,源氏側から平家の領土であった現在の北九州市門司港付近と門司区長谷を新たな領地として拝領。

明治維新後は,広大な綴木家邸宅を綴木公園(現在の料亭:伯翠庵はその一部)として築き,門司市民に桜の名所として開放するほどの栄華を誇ったが,今は,綴木公園の存在すら知られておらず,長い歴史を持った綴木家も今や栄光の影を失いつつある。現在は数人の綴木姓を名乗る綴木家一門が門司港付近に住んでいる。
綴木
【投稿日】2020/09/07 14:47:18
【投稿者】綴木さんさん
綴木家の由来を辿っていくと,武蔵七党(むさししちとう)と呼ばれる,平安時代後期から鎌倉時代・室町時代にかけて,武蔵国を中心として下野,上野,相模といった近隣諸国にまで勢力を伸ばしていた同族的武士団まで遡る.

武蔵七党には,横山党,猪俣党,西党(西野党),児玉党,丹党(丹治党),綴党(つづきとう),私市党がある.

その七党の内の一つである綴党は豪族の結束集団であった.この綴党の中に,江田(荏田)源三(えだのげんぞう)という武将がいて,源義経に仕えて活躍した.江田源三は平家物語にも登場しており,義経の家臣である.このことから,綴党は義経に仕え,壇ノ浦の合戦まで源氏側として従軍したと言える.壇ノ浦の合戦勝利の功績により,綴党は北九州市門司区の長谷を与えられた.綴党の一部は綴木と名乗り,この地を拠点として地侍となり,小倉の領主が代わってもその地を護り続けた.

旧綴木公園(現:伯翠庵)は,まさに綴木家の邸宅跡であり,長く細い小道の奥に広がる広場は要塞跡である.

ただし,江田源三は門司に留まらず義経に仕え続けた.1185年屋島の戦いの話の中で弁慶らとともに強者として紹介されている.義経が兄・頼朝との対立を激化させた1185年,頼朝は土佐坊昌俊を差し向け堀川夜討が行われた.義経たちとそれに味方する源行家の活躍により敗走させ、土佐坊昌俊を捕えることができたが,江田源三はこの乱戦の中で討死したとされている.綴党を英雄的豪族として見ることが出来るのは,まさに江田源三のお陰である.

●綴木家の由来として綴喜家が発生した根拠●
綴木家の本家である我が家には先祖からの古い言い伝えがあった.その言い伝えとは「綴木家は平家の落人だ.」と言うことである.壇ノ浦の合戦で敗れた平家一門の綴木家が壇ノ浦のすぐ側の門司に広大な土地を持っていたのは何とも理解しがたい言い伝えである.要は「寝返った」と言う逆賊であった事実を恥じて作られた寓話である.実際に「つづき」と言う音を持つ姓は天皇家に続くと言う意味で,天皇家の護衛集団として天皇から与えられた姓であるのも事実である.江田源三が史実として実在していたことで,新説の方が有力視出来るが,綴党と綴喜家が別の豪族であることも否定できない.何分資料が少ないので,本当の所は「誰にも分からない」というのが実情である.
綴木
【投稿日】2019/04/22 15:32:15
【投稿者】京大博士綴木さん
綴木という姓に対して,複数の読み方があるが,正しくは「つづるぎ」である.綴木家は元々「綴喜(つづき)」と名乗り,天皇家直属の武士集団であった.天皇家から現在の京都府綴喜郡の一部を領地として賜り,天皇家を護衛する武家として,綴喜の姓を受ける.「つづき」の「つづ」とは天皇家に「つづく」と言う意味として与えられた姓である.

源平合戦の折,平家により都からさらわれた安徳天皇を護衛する為,綴喜軍は平家軍に加わるが,壇ノ浦の合戦で,平家軍が劣勢となる中,安徳天皇は関門海峡に身を投げてしまう.主君である安徳天皇を失った綴喜軍は平家軍に弓を引き,結果として源氏に寝返る形となった.その恩賞として,源氏から平家の領土であった現在の北九州市門司港付近を新たな領地として拝領し,綴木「つづるぎ」と改姓.

幕末の小倉口の戦いでは,綴木家一族は奇兵隊上陸を阻止すべく,小倉藩士として高杉晋作率いる長州艦隊と砲弾戦に応戦.しかし,長州軍の艦砲射撃により綴木一族の多くが戦死.

明治維新後は,綴木公園(現在の料亭:伯翠庵はその一部)を築くほどの栄華を誇ったが,今は,綴木公園の存在すら知られておらず,武家の名門であった綴木家も栄光の影を失いつつある.現在は数人の綴木姓を名乗る一族が門司港付近に住んでいる.
綴木
【投稿日】2017/09/10 04:50:51
【投稿者】綴木さん
「つづき、つづりき」と読む人もいる。
「つづるき」という読み方が最も多い
【投稿日】2017/06/11 12:58:27
【投稿者】つーさん
綴木という姓に対して,複数の読み方があるが,正しくは「つづるぎ」である.
綴木家は元々「綴喜(つづき)」と名乗り,天皇家直属の武士集団であった.
天皇家から現在の京都府綴喜郡に領地を賜り,天皇家を護衛する武家として,綴喜の姓を受ける.
「つづき」の「つづ」とは天皇家に「つづく」と言う意味として与えられた姓である.

源平合戦の折,平家により都からさらわれた安徳天皇を護衛する為,綴喜軍は平家軍に加わった.
壇ノ浦の合戦で,平家軍が劣勢となる中,安徳天皇は関門海峡に身を投げてしまった.
主君である安徳天皇を失った綴喜軍は平家軍に弓を引き,結果として源氏に寝返る形となった.
その恩賞として,源氏から平家の領土であった現在の北九州市門司港付近に改めて拝領し,綴木「つづるぎ」と改姓.
明治維新後は,綴木公園(現在の料亭:伯翠庵はその一部)を築くほどの栄華を誇ったが,
今は,綴木公園の存在すら知られておらず,武家の名門であった綴木家も栄光の影を失いつつある.
現在は50人ほどの綴木姓を名乗る一族が門司港付近に住んでいる.
綴木
【投稿日】2017/05/26 08:38:57
【投稿者】綴木さん
みんなの名字の由来 投稿
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綴木さん みんなの家紋のはなし

亀甲に吉の字
【都道府県】福岡県

以前提出したのは,間違っておりました.

【投稿日】2022/01/04 22:10:32 【投稿者】つづるぎさん

亀甲に吉の字
【都道府県】福岡県

武家の名門,綴木家家紋です. それ以外に何も言うことはありません.

【投稿日】2017/05/14 16:56:01 【投稿者】綴木さん

 

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