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羽柴

【読み】はしば,はねしば,はたしば,うしば
【全国順位】 3,261位
【全国人数】 およそ3,800人

由来解説

豊臣秀吉の名乗りし名字、以後諸将にも賜う。
②現山形県秋田県である出羽寒河江家に仕える臣下にみられる。
などにみられる。
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最終更新:2026/04/11 17:13:13  最終更新者:匿名


羽柴さんの多い地域 TOP5

都道府県人数
愛知県 およそ540人
東京都 およそ440人
岐阜県 およそ350人
神奈川県 およそ270人
大阪府 およそ230人
市区町村人数
岐阜県瑞浪市 およそ220人
愛知県西尾市 およそ200人
岐阜県土岐市 およそ80人
大阪府東大阪市 およそ60人
山形県東根市 およそ60人

羽柴さんの比率が多い地域 TOP5

都道府県比率
岐阜県 0.01817%
山形県 0.01513%
富山県 0.01232%
岩手県 0.01005%
福井県 0.00802%
市区町村比率
岩手県和賀郡西和賀町 0.829%
岐阜県瑞浪市 0.594%
宮城県黒川郡大衡村 0.192%
兵庫県美方郡新温泉町 0.165%
山形県西村山郡河北町 0.16%
※詳細は地図またはリンクをクリック

羽柴さん有名人アクセスランキング TOP10

名前 生年月日 ジャンル 備考
羽柴 秀長 1540年 4月 8日 歴史 豊臣秀長
羽柴 雄輔 1851年 6月 22日 歴史 幕末期の庄内藩士
羽柴 教生 1996年 12月 30日 芸能人 ラッパー、MC☆ニガリa.k.a赤い稲妻
羽柴 完子 1592年 1月 歴史 豊臣完子
羽柴 秀吉 1537年 3月 27日 歴史 豊臣秀吉
羽柴 秀勝 1568年 歴史 織豊期の武将、大名、織田信長四男、羽柴秀吉養嗣子、於次丸
羽柴 与一郎 歴史 羽柴秀長(豊臣秀長)嫡男
羽柴 秀俊 1582年 歴史 小早川秀秋
羽柴 秀康 1574年 3月 1日 歴史 結城松平秀康
羽柴 秀勝 1569年 歴史 豊臣秀勝
※上記は直近一週間のアクセス数Top10です。すべての羽柴さん有名人は以下から確認できます。

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羽柴さん みんなの名字の由来
秀吉は近親者以外にも、羽柴名字を与えている。

最初の例は天正10年(1582年)10月の堀秀政に対するものである。

ただし同年12月、秀吉が宇喜多秀家に与えた書状の宛先が単に「八郎殿」になっていることから、同年4月に元服した秀家に対し、先に羽柴の名字が与えられていた可能性もある(これは秀吉の養女である豪姫との婚約に関連したものとみられる)。

一方、同じ頃に秀吉が家臣に対して木下の名字を与えた例も確認される(木下重堅・木下吉隆・木下家定)。これは羽柴の名字を与える前段階にあたる可能性もあるが、既に羽柴を称している秀吉が、旧名字である木下を与えている点で両者は性格が異なるものと考えるべきで、その違いはどこから来ているのかなど、今後の研究課題と言える。

その後旧主であった織田一族、かつて秀吉の同僚であった大名、あるいは天下統一の過程で臣従させた大名などを中心に、羽柴名字授与が行われている。

秀吉が没する直前には、直臣層への授与が盛んに行われており、主従関係の強化を図ったものと見られている。

羽柴の名字名乗りは、徳川家康のような大身大名から、二千石の織田信高までと幅広い。

これらの羽柴名字は「家」に対してのものではなく、個人に対する称号であると考えられている。

また秀吉に仕える家臣に対して与えられる称号であることは、龍造寺政家のように、隠居後に羽柴名字を剥奪された者が確認できることからも裏付けられる。

秀吉は同様に近親者以外への「豊臣朝臣」氏姓の授与も行っている。豊臣朝臣の授与は、秀吉の推挙を通じて叙位任官を受けた者すべてに対して行なわれ、羽柴名字の授与より、その範囲ははるかに広い。

多くの武士は、羽柴名字の授与を受けることなしに豊臣朝臣姓の授与を受けているが、逆に羽柴の名字のみで、豊臣氏を受けていない例も少なくない。

秀吉死後も、羽柴名字は一定程度既成事実として定着し、江戸幕府成立後も島津家久・細川忠興・池田輝政・福島正則など一部大名が、使用を続けている。

大坂の陣で羽柴宗家が滅亡したのち、羽柴の名字を用いる家系は徐々に姿を消した。
【投稿日】2026/04/11 18:13:35
【投稿者】匿名さん
羽柴氏(はしばし/はじばうじ)は、武家・士族。

木下藤吉郎(豊臣秀吉)は、織田家重臣となった後の1575年、姓を木下から織田家重臣の丹羽長秀・柴田勝家から一字ずつとって羽柴に改める。

1585年の関白就任に際して、近衛前久の養子となって藤原姓、翌年太政大臣就任に及んで朝廷から豊臣姓を受けた。

秀吉政権下では一族や大名などに羽柴氏が称号として授与される。

1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼が自害に追いやられたことで宗家は滅亡。

羽柴寧子の養子利次が再興するも、寧子の薨去後改姓し木下を称す。

明治になると日出藩主木下家の分家の交代寄合だった俊清が羽柴に改姓して士族に列した。


織田信長家臣であった秀吉は、はじめ名字は「木下」を用いていた。

木下氏の由来は諸説あるが、秀吉の父木下弥右衛門を浅井氏の庶流浅井忠政の弟・昌盛法師が、還俗し近江高島氏の木下越中守高泰の娘を娶り木下弥助国吉と名乗ったことに始まるとする。

秀吉の母大政所の姉妹たちが、青木重矩(青木一矩父)・小出正重(小出秀政父)といった武士階級に嫁いでいることにより、一定階級に属する武家であったことが推察される。

いずれにせよ秀吉が歴史に姿を現すのは、信長が美濃の土豪坪内利定に与えた知行安堵状添状(永禄8年(1565年)11月2日付)に「木下藤吉郎秀吉」と署名しているのが最初である。

その後秀吉は、戦功を重ねて信長の有力部将として台頭する。

木下から羽柴に改めたことを示す最初の例は、元亀4年(1573年)7月20日付で大山崎惣中に縄の供出を求めた書状であり「羽柴藤吉郎秀吉」と署名している。

『信長公記』では、元亀3年7月24日条に近江一向一揆掃討指揮官として「木下藤吉郎」の名を記し、同年8月条では虎御前山に建設された砦の「定番(じょうばん)」として「羽柴藤吉郎」の名が記されている。

名字の変更について竹中重門の『豊鑑』 には以下のようにある。

「其頃信長の心に叶ひののじる柴田修理亮勝家、丹羽越前守長秀とかやいひしかば、其人の名字を、一字づゝ賜らんとて、丹羽の羽に、柴田の柴をそへ、羽柴筑前守と改給しとなり。」
— 『豊鑑』、近世日本国民史

『豊鑑』は、これを永禄6年以前の記事として掲げているが、秀吉は永禄11年4月16日付書状で「木下藤吉郎」と署名していて、明らかに一次史料と矛盾する。

羽柴の由来をめぐって、徳富蘇峰は、木下から羽柴に替えた時期を「元亀の末より天正の始め」と推定し、筑前守を称したのも「天正3、4年」とした。

蘇峰は天正2年の書状を羽柴姓の初出としているが、前述のように、羽柴の名字を用いるようになったのは元亀4年以後とされる。

丹羽と柴田から取ったかどうかについては、渡辺世祐は丹羽長秀の「羽」と柴田勝家の「柴」を組み合わせたものだとそのまま受け入れ、小和田哲男も「羽柴の名の由来であるが、信長の重臣である柴田勝家の”柴”と丹羽長秀の”羽”を一字ずつもらいうけ、羽柴としたことは言うまでもない」と書いている。

蘇峰も概ね『豊鑑』を受け入れつつも「随分笑止な事と云わねばならない」と書き、信長の機嫌をとるための行為だったとして冷笑的に秀吉を「信長学の大博士だ」と評している。


また秀吉が羽柴名字を名乗り始めた当初は、秀吉1人が羽柴と称していたと考えられている。弟秀長(当時は長秀)は秀吉が羽柴を名乗った後もしばらくは木下の名字で文書を発給しているためである。

秀長が羽柴の名字を用い始めるのは天正3年(1575年)に入ってからであり、それ以降は秀吉一門全体で羽柴名字を名乗るようになったと考えられている。

信長が本能寺の変で横死、秀吉が代わって天下人の座に就くと、秀吉の発給する文書は地位向上にともなって必然的に尊大化・薄礼化し、あるいは奉書にとって代わられ、直状も単に「秀吉」とのみ署名したもの、花押のみ署したもの、印判のみ押したものなどで占められ、羽柴名字の使用例は見られなくなる。

天正13年(1585年)10月13日付の伊達政宗の重臣遠藤基信宛書状に「羽柴筑前守」と署名したのが秀吉が羽柴名字を使用した最後の例である。

慶長20年(1615年)5月、大坂の陣で秀吉の後継者豊臣秀頼が自害に追い込まれ、大坂の羽柴宗家は滅亡した。

大坂の滅亡後京都の公家町の豊臣関白家本邸にいた、秀吉未亡人羽柴寧子高台院(豊臣寧子)が親族の利次を養子として、京都の羽柴家に迎えたものの、寧子薨去後江戸幕府より羽柴利次は羽柴氏を称することを禁じられ、木下氏を称することとなったため、寛永元年(1624年)羽柴氏を公称できる家は消滅した。

しかし羽柴氏の末裔には違いなく、江戸時代も羽柴氏は寄合の大身旗本家の格式の家として続き幕末を迎えたといえる。

これとは別に、豊後国日出藩木下家の分家かつ立石領5000石の交代寄合だった木下俊清(豊臣国松の後胤説あり)が、明治5年(1872年)3月10日に羽柴に復姓した。

明治17年(1884年)に施行された華族令で華族が五爵制になった際に定められた『叙爵内規』の前の案である『華族令』案や『叙爵規則』案では元交代寄合が元高家とともに男爵に含まれており、羽柴家も男爵位を授けられるべき家に挙げられているが、最終的な『叙爵内規』では高家も交代寄合も対象外となったため結局羽柴家は士族のままであった。

羽柴俊清の養子である羽柴俊朗は、その後も明治から大正にかけて叙爵請願運動を盛んに行っており、本家の木下俊哲子爵からも叙爵請願が行われているが、結局実現せず同家は士族のままであった。豊臣秀吉に所縁のある羽柴姓は、現代においてはこの一族だけである。

秀吉は本姓としてはじめ平姓を用い、関白就任時には近衛家の猶子となり藤原姓に改め、その後、新しい姓を創始して豊臣の本姓を用いた。近代以前において本姓と名字は異なるものである。黒田基樹は羽柴の名字は単に使用されなくなっただけで、秀吉がさらに別の名字に改めたというわけではなく[17]、その後も秀吉・秀頼の名字は「羽柴」であり、「豊臣政権」「豊臣大名」という言い方も「羽柴政権」「羽柴大名」とするべきとしている[18]。

ただし豊臣賜姓以降、秀吉及び秀頼が「羽柴」の名字を使ったという史料は残っていない。

福田千鶴は源頼朝が名字を要しなかったように、秀吉・秀頼にも名字はなかったのではないかとしている。

また谷徹也は、本姓と名字が一致していたという可能性も考慮するべきとしている。

さらに黒田の議論を正確なものにするためには、豊臣賜姓後の秀吉・秀頼が羽柴名字を使用した実例を挙げる必要があったのではないかと指摘している。
【投稿日】2026/04/11 18:09:46
【投稿者】匿名さん
はしば
岩手県西和賀町に数軒あり。
羽柴秀吉の流れであったが、大坂の陣敗北の後、この地に隠遁すると伝わる。
【投稿日】2021/02/05 03:50:20
【投稿者】はじろさん
豊臣秀吉が丹羽長秀と柴田勝家から一文字ずつ預かったとされる説が有名。
【投稿日】2017/05/30 12:31:16
【投稿者】諸葛敬さん
有名な話ですが、織田信長に仕えてた木下秀吉が成り上がり者なのに順調に出世していた際に、周囲からの嫉妬などを避けるため、当時重臣だった
丹羽長秀と柴田勝家から一文字ずつ「羽」と「柴」をとり、名乗ったのが、きっかけです。
【投稿日】2017/03/23 17:19:57
【投稿者】羽柴さん
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羽柴さん みんなの家紋のはなし
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