【名字】去来川

【読み】いさがわ,いさかわ

【全国順位】 17,624位
【全国人数】 およそ280人


【名字の由来解説】

砂川と起源を一緒とする説もある。また率川宮に由来という説もある。近年、兵庫県などに多数みられる。
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最終更新:2021/10/06 15:42:40  最終更新者:りこりこ


去来川さんの多い地域 TOP5

都道府県人数
兵庫県 およそ150人
大阪府 およそ40人
京都府 およそ40人
埼玉県 およそ30人
東京都 およそ10人
市区町村人数
兵庫県加西市 およそ30人
兵庫県姫路市 およそ30人
兵庫県神崎郡神河町 およそ30人
大阪府大阪市北区 およそ10人
埼玉県本庄市 およそ10人

去来川さんの比率が多い地域 TOP5

都道府県比率
兵庫県 0.0027%
京都府 0.00144%
徳島県 0.0005%
大阪府 0.00048%
香川県 0.00043%
市区町村比率
兵庫県神崎郡神河町 0.261%
兵庫県加西市 0.069%
兵庫県神崎郡市川町 0.049%
兵庫県多可郡多可町 0.029%
兵庫県川辺郡猪名川町 0.019%
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去来川さん有名人アクセスランキング TOP10

名前 生年月日 ジャンル 備考
去来川 奈央 その他 NHKアナウンサー
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去来川さん みんなの名字の由来
我が家系は、神崎郡神崎町(旧粟賀村)の中村地区が元となります。
【投稿日】2022/01/25 08:08:06
【投稿者】KKさん
奈良市の率(いさ)川から兵庫県神崎郡に移り住んだ先祖が、中国詩人・陶淵明の叙景詩「帰去来辞」からとったといわれる。
【投稿日】2017/09/03 20:09:25
【投稿者】去来川さん
去来川姓の由来記
昭和四十四年(1969)去来川信郎

去来川(いさがわ)の姓は極めて稀少である。
電話簿や各種の人名録を調ぺても吾々の一族又は郷党の者以外は殆んど発見しない、謂はば吾が郷里個有の姓であろう。
こんな事から私は去来川の姓に関して二十数年前から種々の・文献や歴史書を漁り調査研究してゐる。恐らく私の生命の続く限り将来も之を継続するであろう。
又、これから派生して世の中の奇姓、珍名の調査にも與味を持つようになつて氏姓学の権威者とも屡文通してゐる。
去来川姓が吾が郷里以外には無いものとして、いつ頃どうして出来たものかを今迄に調査した総合的結果を記しておこう。
調査の主たる参考資料は
(A)私の実家である去来川本家に残る古文書及び墓石等
(B)菩提寺たる安楽寺の過去帖
(C)昔の藩主たる福本池田藩の歴史 
(D)氏神である大歳神社の縁起書 
(E)郷里の古老
の口伝等である。又いさがわかいざがわかに就ては「大言海」(大槻文彦)「国民百科大辞典」(富山房)「大百科事典」(平凡社)等で調ぺた。各歴史書の調査には大阪及び東京の図書館へ屡通つたものである。以上の如く可なり念入りに調査したので先づ間違いはないものと確信してゐる。殊に池田藩に関する事貫は郷里の従弟塩田建三郎君が郷土史の研究に熱心で確実なる貴重なる資料を豊富に集めてゐるのでその助力を仰いだ事は甚だ便利であつた。その厚意を多とするものである。(塩田君は藩の御典医の家に生れた士族で藩の各種古文書を
数多く集めて研究してゐる)
私の郷里播州福本(兵庫県神崎郡神崎町福本)は姫路から北へ但馬街道を七里、但馬国生野(銀山いくの)から南へ三里で中国山脈の頂上から南(山陽)へ約三里程下つた処にあり、市川の上流越知川(おち川)の東岸に位する。上古(石器時代)からの史跡が多く残つてゐる
(塩田君の調査による。別途発表する予定)
寛文三年九月(1663年)徳川四代将軍家綱の時代に備前岡山の池田藩の分家鳥取池田藩の分藩として源経基二十六代目の孫松平政直公の領地として福本池田藩が生れた(各歴史書に明記)寛文五年乙已(1665年)に能登守政直公の入部と共に藩主の邸宅や藩地の構築に取りかかり更に全八年(1668年)に二代目.藩主松平政武公が郷社大歳神社の造営を始めるに当り木材は川上村より取り寄せ工師(頭領)として奈良より新助なる者を招いて之に当らせた。その新助が去来川の鼻祖である。(今から三〇〇年程前である)
新助は藩の造成が完成するとそのまま福本に土着し藩主より苗字帯万を許された。その時郷里奈良の実家に近い所の地名率川(いさがわ)を取つて「いさがわ」と命名した。但し率川は開化天塁の陵や神社の名前なので遠慮して「率」(いさ)は「去来」(いさ)に通じるので去来川(いさがわ)としたと伝へられてゐる。
(後記の通り)
土着すると共に油の製造を本業とした。故に去来川本家は郷里では「あぶらや」の屋号で通つてゐる。私の小学生時代には「あぶらやのぽん(ぼんちの意)と呼ばれた。叉氏神神社の古い絵馬(ゑま)などには「あぶらや幸右衛門」などと書いてある。
私の子供の頃毎年夏期になると近在の農家から菜種を風呂敷に包んで私の家へ持つて来て日用品と物々交換をしたり、相場で買い取つてゐた。
斯くして集めた菜種の原料は毎年暑中休暇の頃に加西郡の方から二人一組の「油師」なる労務者が巡回して来て、ニケ月位本家に滞在して菜種油に加工して原料がなくなると但馬の方へ巡回して行くのであつた。だから実に原始的な菜橦油の製法は小供心に見てゐて今でも記憶してゐる。
私の懇意な流行作家の佐賀潜氏は曽て私に話した事がある。「昔は油は実に重要な商品であり、各地の領主達は油屋を抱き込むのに力を入れたものである。美濃の斎藤道三なども油屋の出身であり、大抵地方の豪族であつた」と。福本池田藩の記録によると御用金(軍用金)や冥加金の上納にばいつも「あぶらや」が最高位であつた事が記録されてゐる。
安楽寺の過去帖を見ると徳川特代の記録には姓を記入されてゐるのは去来川の外には一、二軒で殆んどは姓はなく百姓何兵衛娘お何という風に書いてあつた。
播磨神崎郡史に掲載されてゐる。明治以前の寺子屋「去来川学舎」は私の曽祖父の時代であり、子供の頃近郷の老人(七、八十才位)達(寺子屋の弟子=門人)が盆や正月に本象へお礼参りに来た事をよく覚えてゐる。

「いさ川」か「いざ川」か
「大言海」(大槻叉彦)によれば、いさ(不知)否の義なりと云へり。率(いざ)と混ずべからず。いや何うじややらの意をなす。
いざ(感)率。去来。さあさあの意なりいざいざと重ねても云う。
開化天皇の春日率川宮も古事記には伊邪(いざ)川宮とあり、去来の字を記すは「かへりなんいざの条を見よ。
かへんなむいざ(帰去来(旬)此の訓語晋編なりしと見えて古くより
上略して去来の二字を「いざ」に充て用いられたり。普の陶渕明の帰去来の辞「帰去来田園将無」とあり。
「霞民百科大辞典」(富山房)によれば、いさかは(率川)歌枕奈良市春日山に発し佐保川に入る小流。別名能登川、狭井川。
蝋化天皇皇居跡といふ率川宮址は今不明。
同御陵率川坂本陵は市内三条通り油坂。万葉の七は「はねかづら今する妹をうらわかみいさいざ川の音のさやげさ」
「大百科事典」(平凡社)によれば
イサホワケノスメラミコト去来穂別天皇履中天皇の御名イザミヤマ去来見山三重県及奈良県に跨がる高見山の別祢万葉集に「吾妹子を去来見の山を高みかもやまとの見えぬ圏遠みかも」とある。イサガワニマスオーミワノミコノジンシヤ  率川坐大神御子神社奈良市西新屋町に鎮座、中殿は姫踏韛五十鈴姫命、左殿は玉櫛姫命(御子守神)、右殿は大巳貴荒総命の三神を祀る。俗に子守社
とも三枝明神ともいふ。云々

イサカワノマツリ(率川祭) 奈艮良磯城郡三輪町に鎮座官幣大社大神神社摂社率川神社に於て六月十七日に行はるる三枝(さゑぐさ)祭をいう
イサガワノミヤアト(率川宮址) 奈艮県市野田の東から南率川の辺までに当る開化天皇の皇居のあつた地。率川陵はニキロをへだつ油坂にある。
右の通り「去来川」はいさ川でもいざ川でもどちらでもよい事となる郷里では「いさがわ」で通つてゐる。
【投稿日】2017/04/17 15:21:31
【投稿者】jasonさん
みんなの名字の由来 投稿
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去来川さん みんなの家紋のはなし

木瓜の中に菊
【都道府県】兵庫県

江戸時代から使用しています。

【投稿日】2017/04/30 17:22:35 【投稿者】去来川さん

 

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