【名字】稲井

【読み】いない,いねい

【全国順位】 2,716位
【全国人数】 およそ5,100人


【名字の由来解説】

現和歌山県と三重県南部である紀伊国名草郡稲井村が起源(ルーツ)である。宇和島藩、徳島藩、現岩手県南東部と北西部を除く地域である陸中などにみられる。
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最終更新:2014/05/06 09:31:42  最終更新者:みちや


稲井さんの多い地域 TOP5

都道府県人数
徳島県 およそ730人
大阪府 およそ670人
愛媛県 およそ640人
兵庫県 およそ400人
北海道 およそ360人
市区町村人数
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徳島県阿波市 およそ340人
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徳島県徳島市 およそ120人
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稲井さん みんなの名字の由来
稲井についての由来情報をお送りいたします。
 
稲井(いない、いねい)という名字の由来は発祥の地によって異なります。

1、愛媛県今治市発祥による清和源氏(河内源氏義国流、新田族、脇屋氏)の稲井(いない)は、鎌倉幕府の倒幕に寄与したことで知られる脇屋義助が高祖。義助の子である義治は永徳4年(1384年)正月に越智大島に落ち延び、村上(北畠)師清(もろきよ)より大島内の稲井城(別名:姫内城)を賜り姓を稲井に改めたことに始まる。

2、徳島県の稲井(いねい)は、上記1の稲井家村上水軍三代目、助之(通明)稲井太郎左衛門の弟である頼賢が紀伊国名草郡鳥居浦(現在の和歌山県海南市)の大野十番頭の祖であり、徳島に移住してきたことに始まる。

3、 宮城県石巻市発祥の稲井(いない)は、この地方に産出する井内石の音に、水が尽きないように無限に米が産出されるようにとの願いを重ねて名付けられたといわれている。この井内を明治以降に稲井と改めたものである。

【愛媛県今治市発祥稲井家略歴】
永徳4年(1384年)正月、伊勢で身を隠していた新田義宗と脇屋義治は宗良親王の勧めもあり、能島(今治)に落ち延び、同志であった北畠顕家(あきいえ)の子である村上師清(もろきよ)のところへ身を寄せた。明徳3年(1392年)、伊予の得能家から招かれて湯ノ山日浦ノ里へ(現在の松山市河中町)。1393年、脇屋義治の子、助盈(頼國)は越智大島内の稲井城(別名:姫内城)を賜り、父と共に姓を稲井に改めた。村上三郎ともいい村上水軍初代となる。新田義宗の子、義處は姓を救井に改め村上水軍の第一家老となった。
現在、新田氏発祥の地である群馬県太田市と愛媛県今治市は姉妹都市提携を結んでいる。
1405年8月7日、義治は83歳で死去(法号:徳王院殿故右衛門佐朝散大夫玄舜山大禅定門)同年11月5日、新田義宗も74歳で死去し館の乾山に埋葬された(法号:永尊院殿前武州刺史朝散大夫旭山法光大居士)。湯ノ山日浦ノ里(現在の松山市河中町295)両新田神社内に墓がある。
1427年、助盈(頼國)の子、助富(頼康)は大島稲井城を村上一門に譲渡し、因島に移住。小丸山に築城するほか、宝持寺及び守護神三宝荒神社を建立し、因島村上第二家老として功績を残す。(第一家老は新田義貞の子孫、救井氏で青影城代、軍師役で戦専門)。助富(頼康)の子、助之(通明)は稲井太郎左衛門ともいい父とともに応仁の乱、文明11年の細川頼春の伊予侵攻に出陣。助之の子、治之(頼親)は稲井伯耆や稲井勘解由ともいい村上水軍に属し活躍した。稲井家は執事である大和源氏の槇(牧)家と共に因島村上家の貿易を担当し、貿易品の企画から調達、販売、管理まで行った。
関ヶ原の合戦後、稲井家は母方桑原摂津守の鷺森城や櫛部肥後守の象森城、菩提寺本源禅寺の前身加養庵(後通庵)を建立した田頭源左衛門や加養尼が住していた、桑村群丹生川村(現在の愛媛県西条市大新田)を本貫の地として因島から移動した。

■両新田神社
新田義貞の三男義宗と脇屋義助の長男義治が祭神。湯山の領主得能家から招かれ、当地で過ごし応永10年(1405年)共に亡くなった。後に、得能通義両将の墓辺に小宮を営み、河野通直は二廟を建立し上新田廟、下新田廟と称えた。その後合祀し、両新田神社と改めた。
境内には、御杖椿、新田椿と呼ばれる椿の大木があり、新田義宗が下向の際に使った椿の杖を土に挿し置き、それから根が出て育った椿で、その巨木は愛媛県下一となり松山市の指定天然記念物になっている。義宗と義治の墓がある。祭りは10月7日。
松山市河中町295

■宝持寺(愛媛県発祥 稲井家の旧菩提寺)
大島から因島へ移った稲井家は小丸山城を築き、城の山麓に宝持寺、守護神三宝荒神社を建立。上屋敷稲井館、下屋敷対朝閣を有し、因島村上家の第二家老として貿易、合戦に従事。
(ちなみに第一家老は新田義貞の子孫である救井家)
現在、廃寺となった宝持寺周辺には稲井家先祖の墓と伝えられる五輪の塔など七十余基存し、奉祭されている。また、上屋敷は大江城主であった宮地忠明児孫に譲渡し、対朝閣は1608年に対潮院となり臨済宗の寺として開山。
〒722-2323広島県尾道市因島土生町474-1 

■本源禅寺(愛媛県発祥 稲井家現在の菩提寺)
毛利輝元の家臣である高橋右京進の嫡男、田頭源左衛門が建立した臨済宗妙心寺派の禅寺。関ヶ原合戦での稲井家は毛利輝元に従って西軍に投じ、村上水軍関ヶ原別動隊として出陣。東軍に属した加藤嘉明の松前城を攻めた。合戦後、稲井家は桑村群丹生川村(現在の愛媛県西条市大新田)を本貫の地として因島から移動。この地は母方桑原摂津守の鷺森城や櫛部肥後守の象森城、菩提寺本源禅寺の前身加養庵(後通庵)を建立した田頭源左衛門や加養尼が住していた。この時に桑村群丹生川村へ来たのは本家治憲及び、分家利治であった。丹生川は1352年に壬生川と改めている。
本源禅寺所在地〒799-1341 愛媛県西条市壬生川408

◆稲井家紋の種類
『丸に亀甲三つ引両』・・・桑村郡(現在の愛媛県西条市大新田)在住の稲井家
『丸に三つ柏』・・・・・・・・・・・氷見玉木屋、三吉屋、弓場屋の稲井家
『北条三つ鱗』・・・・・・・・・・・氷見玉木屋の分家で元伯家の跡を継いだ稲井家
『丸に抱名荷』・・・・・・・・・・・大新田村から円海寺へ、後国安村に移住した稲井市太郎家

【投稿日】2019/01/06 15:49:08
【投稿者】トクメイさん
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