筒井
【読み】つつい,すすい,とい,どい
【全国順位】
425位
【全国人数】
およそ45,800人
筒井さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 愛知県 | およそ5,100人 |
| 大阪府 | およそ4,600人 |
| 東京都 | およそ3,600人 |
| 福岡県 | およそ3,100人 |
| 兵庫県 | およそ2,800人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 高知県高知市 | およそ1,200人 |
| 高知県吾川郡いの町 | およそ720人 |
| 愛知県西尾市 | およそ540人 |
| 香川県木田郡三木町 | およそ480人 |
| 香川県高松市 | およそ460人 |
筒井さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 高知県 | 0.37323% |
| 香川県 | 0.19586% |
| 佐賀県 | 0.18104% |
| 徳島県 | 0.08168% |
| 愛知県 | 0.07027% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 高知県土佐郡大川村 | 15.348% |
| 高知県土佐郡土佐町 | 6.293% |
| 長野県下伊那郡根羽村 | 4.184% |
| 高知県吾川郡いの町 | 3.118% |
| 長野県東筑摩郡朝日村 | 2.232% |
筒井さん有名人アクセスランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 筒井 順慶 | 1549年 3月 31日 | 歴史 | 戦国〜織豊期の戦国大名、大和筒井氏当主、大和筒井城主、大和国郡山城主 |
| 筒井 道隆 | 1971年 3月 31日 | 芸能人 | |
| 筒井 康隆 | 1934年 9月 24日 | 文学者 | 小説家、劇作家、俳優 |
| 筒井 あやめ | 2004年 6月 8日 | 芸能人 | 乃木坂46、4期生 |
| 筒井 和也 | 1981年 10月 5日 | スポーツ選手 | 野球 |
| 筒井 巧 | 1964年 7月 3日 | 芸能人 |
|
| 筒井 清忠 | 1948年 8月 18日 | 研究者 | 社会学者、歴史学者 |
| 筒井 順定 | 1601年 2月 7日 | 歴史 | 江戸初期の伊賀上野藩世嗣、筒井定次嫡男 |
| 筒井 政憲 | 1778年 6月 15日 | 歴史 | 旗本、目付、長崎奉行、南町奉行、大目付 |
| 筒井 定次 | 1562年 6月 6日 | 歴史 | 織豊〜江戸前期の武将、伊賀上野藩主 |
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【戦国武将・大名の家紋】
| 筒井さん みんなの名字の由来 |
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嵯峨源氏渡辺氏流にも筒井氏が存在する。 渡辺綱の次男・渡辺久が、肥後国松浦郡筒井村(現在の佐賀県伊万里市波多津町筒井)に生まれたことから、筒井久と称したが、彼一代限りであった。 嵯峨源氏渡辺氏流の筒井氏の系統からは、越後国の赤田氏、瓜生氏が派生した。また薩摩国の奈良原氏も、久の後裔と称す。 |
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【投稿日】2026/03/31 21:27:32 【投稿者】匿名さん |
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筒井氏(つついし)は、大和の戦国大名。大和国添下郡(明治30年以降は生駒郡)筒井より、起こったと伝える。 大神神社の神官大神氏一族と言われている。大和国添下郡筒井の土豪として大和に勢力を持っていた。 鎌倉時代以降、大和守護は興福寺が務めており、筒井氏もその「衆徒」として組み込まれるが、室町時代に大和永享の乱が発生、戦国時代に入ると興福寺の勢力が衰退、「大和四家」と言われる筒井氏・越智氏・十市氏・箸尾氏の勢力が台頭してくる。 応仁元年(1467年)応仁の乱では、河内の守護大名である畠山氏の抗争に巻き込まれて、大和国内は混乱する。 筒井順永は畠山政長に協力して畠山義就派の越智家栄らと戦ったが、息子の順尊は義就に敗れ衰退した。 そのような中で、筒井氏当主となった筒井順興は英明で、大和国人衆の一人として興福寺に属しながら越智氏を滅ぼして勢力を拡大、筒井氏を大和の戦国大名として地位を確立した。 天文4年(1535年)に順興は死去、嫡男の筒井順昭が後を継いだ。 順昭は、信貴山城を本拠とする木沢長政と連携して越智氏を圧迫。長政が没落すると、その勢力を大和より駆逐、大和を統一。 さらに敵対関係にあった義理の兄十市遠忠と和解、河内にもその勢力を伸ばし筒井氏の全盛期を築き上げた。 しかし、順昭は天文19年(1550年)に28歳で死去、嫡男で2歳の筒井順慶が後を継ぐこととなる。木阿弥の話はこの世代交代を舞台にしている。 順慶は2歳で当主となり、叔父の筒井順政が後見人を務めた。 しかし順慶が幼少であるのを見て、三好長慶の家臣・松永久秀が大和に侵攻して来る。順慶は幼少で、しかも順政も永禄7年(1564年)に死去という悪条件が重なった筒井氏には、軍の統率が取れず、筒井城を久秀に奪われた(筒井城の戦い)。 順慶は大和から追放された。 後に久秀が三好三人衆と対立した時には、三人衆に属して大和奪回を目指したが、久秀の前にたびたび敗れた。このため順慶は、織田信長家臣となり、後ろ盾をもって信長客将となっていた久秀から大和守護に任じられた。その後は明智光秀の与力大名として久秀討伐(信貴山城の戦い)、一向一揆討伐などで活躍した。 天正10年(1582年)、本能寺の変が起きて光秀が信長を殺すと、与力という関係から協調行動を勧誘されるが順慶は拒否。 このため光秀の滅亡後も所領は安堵された。この時の筒井軍の行動が後世に脚色され、日和見的態度を指す「洞ヶ峠」の由来となった。 順慶は天正12年(1584年)に36歳で死去。嗣子無く、後を養嗣子で従弟の筒井定次が継いだ。 定次は羽柴秀吉家臣として仕えた。中坊秀祐の讒言を受け入れて重臣の島清興と対立し、これを追放してしまう。さらに秀吉も、大和には信用できる身内を置いておきたいという考えから、定次は天正13年(1585年)、伊賀上野に移封された(大和は秀吉の弟・秀長が入った)。 これは四国征伐の武功による加増と言われているが、実質は40万石から20万石もの減封である。 このため筒井氏は、家臣の多くを改易、伊賀の土豪をも潰していかざるを得なかったといわれている。 定次はこの秀吉の仕打ちを恨んだのか、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与、所領を安堵され、伊賀上野藩を立藩した。しかし1608年、幕命により改易され伊賀上野藩20万石は廃藩となった。定次自身の身柄は鳥居忠政預かりとされた。 改易の理由は、定次が酒色に溺れて政務を顧みなかったこと、キリシタンであったことなどのほかに、筒井氏のような外様を畿内に置いておくのは危険と考えた幕府の有力外様大名取り潰し政策の一環とも伝えられている(筒井騒動)。 慶長20年(1615年)、定次は大坂冬の陣で城方に内通したという責めによって、幕命により息子の筒井順定と共に自害を命じられた。 その後、従弟の筒井定慶が大和郡山1万石を与えられたが、大坂夏の陣で定慶が戦死したため、大名としての筒井氏はここに滅亡。 順慶の養子で定慶の弟とされる順斎(福住順弘の次男)は徳川家康に仕え旗本となり、1千石を与えられ家名は幕末まで続いた。 幕末に日露和親条約の交渉を行った筒井政憲と、マシュー・ペリーの来航の際、国書受取の場・久里浜で警備隊を指揮していた、下曽根信敦父子はその末裔にあたる(信敦は久世氏の出身で、養子として筒井氏を継いでいる)。他にも順慶に連なるとされる旗本筒井家があるが、順斎系と同様、系譜関係は確実なものではない。さらに順慶実子として、筒井新兵衛(母は南石蛸助の娘)の名が知られるが、学術的な検討を経てはいない。なお筒井順正については、近代の附会であり、大和筒井氏とは関係が認めがたい。 |
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【投稿日】2026/03/31 20:53:45 【投稿者】匿名さん |
| うちは奈良と京都の県境あたりの筒井がルーツです。筒井氏は奈良の大和郡山市が発祥ですが、戦国時代あたりに大量に高知に移住したようで、特に大川村、いの町、芸西村に多いです。筒井定次の改易により、全国に散らばったようですが、元々、水のある場所(青森や鹿島あたり?)に移住する傾向があるようです。現地には様々な伝承・伝説が残されていて、ロマンを感じます。 |
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【投稿日】2020/08/30 16:43:56 【投稿者】どうぞくさん |
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