郷
【読み】ごう,さと,ごお,きょう
【全国順位】
2,490位
【全国人数】
およそ5,600人
由来解説
郷さんの多い地域 TOP5
都道府県 | 人数 |
---|---|
東京都 | およそ840人 |
岐阜県 | およそ660人 |
神奈川県 | およそ430人 |
新潟県 | およそ430人 |
熊本県 | およそ410人 |
市区町村 | 人数 |
---|---|
岐阜県岐阜市 | およそ420人 |
新潟県長岡市 | およそ260人 |
福島県石川郡石川町 | およそ150人 |
福島県白河市 | およそ110人 |
新潟県小千谷市 | およそ110人 |
郷さんの比率が多い地域 TOP5
都道府県 | 比率 |
---|---|
岐阜県 | 0.03451% |
熊本県 | 0.02412% |
新潟県 | 0.01991% |
福島県 | 0.01795% |
鹿児島県 | 0.00959% |
市区町村 | 比率 |
---|---|
福島県石川郡石川町 | 0.972% |
熊本県阿蘇郡南阿蘇村 | 0.954% |
熊本県球磨郡水上村 | 0.62% |
北海道十勝郡浦幌町 | 0.563% |
鹿児島県大島郡伊仙町 | 0.461% |
郷さん有名人アクセスランキング TOP10
名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
---|---|---|---|
郷 杏樹 | 1994年 5月 31日 | 芸能人 |
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郷 ひろみ | 1955年 10月 18日 | 芸能人 | 芸名 |
郷 文裕貴 | 芸術家 | アニメ音響監督 | |
郷 誠之助 | 1865年 2月 3日 | 経営者 | 実業家(東京電燈会長等)、貴族院議員、男爵郷純造家2代 |
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郷さん みんなの名字の由来 |
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「郷」家由来の系図
郷家は、今を去る930年前(1080年頃)、福島県石川郡石川の小泉城主 大江雅致(まさむね)の分家として出る。江をゴウと読み、郷の名字を定めたと推測される。 白河城(小峰城) 白河氏の源流は藤原秀郷の末裔で、下野国都賀郡を本拠とする東国屈指の大族小山一族で、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした文治5年(1189)に従軍した結城朝光を祖先とする名族で、朝光の孫祐広が建長2年(1250)に白河郊外(小峰城より北)の搦目山に白川城を築いたが、興国元年(1340)に白河結城氏5代親朝が小峰ヶ丘に小峰城を築き、これに移ったのに始まる。結城氏は戦国時代まで領有し、江戸時代になると丹羽長秀の息子・丹羽長重が初代藩主として入城。4年の歳月をかけて、今の近世城郭である小峰城を築城した。 源平時代の郷家の先祖は、平清盛に敵し、源頼朝に頼り、その後結城祐広(すけひろ)の子 白河城主結城宗広の家老となり、その後筆頭家老として代々仕えていた。 南北朝期、宗広は一貫して南朝方につき、建武元年(1334)建武政権の陸奥国府の式評定衆に任命され、一方勅裁により結城惣領となった。宗広の跡は孫顕朝(あきとも)が継ぎ、顕朝の父親朝(ちかとも)は小峰氏の祖となった。 白河氏の勢力は、直朝の時代に頂点に達した。関東大乱を経て、白河氏は幕府の支持を得、南奥羽や北関東の諸氏に対して勢威を及ぼした。 しかし、永正7年(1510)城主の相続争いの内紛が起き、勢力は衰え始める。白河氏は、蘆名(あしな)氏と結んで佐竹氏と戦った。しかし、天正の乱(天正3年1575年)「天正三年1月4日南陸奥の結城家で内紛が勃発した。結城晴綱(はれつな)の後継者である8歳の善七郎(白川義顕)は初狩の行事のため白河城を出た。後見の小峰義親(よしちか)は、かねての計画どおり、たやすく白河城本丸を占拠した。これを知った、家老の郷石見守・郷土佐守、柏木隼人(はやと)、忍(しのぶ)右京(うきょう)進(しん)らは善七郎への追撃を躱(かわ)しつつ近くに在する田島信濃守の田 【城 跡 名】鴫山城(しぎやまじょう、南山城・田島城) 【所 在 地】福島県南会津郡南会津町田島字愛宕山・字根小屋(旧南会津郡田島町) 【創建年代】14世紀後半~15世紀前半 【主な遺構】郭、門跡、櫓跡、空堀、土塁 【歴史・沿革】この城は長沼氏によって室町時代に14世紀後半から15世紀前半にかけて築かれたものと推定されています。この城についての記録は非常に少なく、ここが戦場となったのも長禄3年(1459)に白河結城勢と横田山内勢が共謀して占拠し、これを蘆名(あしな)氏に奪回を依頼して取り戻した事件だけといいます。 その後鴫山城主は天正18年(1590)に長沼氏から蒲生氏へと移り、その後、上杉氏・蒲生氏と替わり、寛永4年(1627)加藤氏の時に廃城となりました。 島城に逃れさせた。さらに居場所を会津の柳津(やないづ)虚空蔵(こくうぞう)別当(べっとう)(同県河沼郡柳津町)に移した。和田昭為は、即座にこの紛争を南陸奥の東館(同県東白川郡矢祭町)にいる東義久に伝え、」さらに、善七郎の家老・芳賀出羽守からも支援を要請させた。加えて、浅川大和守と共に須賀川城(同県須賀川市)主の二階堂盛義を味方につけた。善七郎の立場から見れば城を追われたことになる。しかし、結城義親の立場から見れば、御家を佐竹家に売る者たちを排除したに過ぎない。白河では天正の乱と呼ばれるこの騒動を、米沢の伊達輝宗は日記の中で、「白川(結城)善七郎殿を芳賀出羽守、中村弾正、賀東田治部少輔らが抱えて(義親と)手切れとなり、これに和田安房守、浅川大和守が同心した」と記している。通説では義親の乗っ取りであるが、実は昭為らが仕掛けた戦であった。経緯はどうであれ、結城家の分裂は好都合、早速、東義久は遣いを送った。 こうして白河小峰義親による宗家乗っ取りに巻き込まれて、民間に下野してからは、代々太田川の庄屋(名字帯刀)として、代々人望を集め、文化年(1804年から1817年)までの期間中には、郷元庵の代に医者となっていたが、その後、幕末維新前後、太田川の地を去って北海道に移住してきたとの伝承がある。 |
【投稿日】2024/03/07 16:07:45 【投稿者】てんつなまんさん |
新潟県長岡の郷さんの由来は越後地誌風俗全書温故の栞によれば、源頼義の庶流義宗が長門国豊浦の郷に住みし故に郷を姓とす、とあります。後に近江国住笠の荘へ移住、信濃国西笠原に移りしころ源義仲の臣となり、義仲敗死後当地へ漂泊。朝日村を開き、義仲愛刀をまつり熊野権現と合祀し劒権現と称し朝日神社のちに朝日寺も建立す |
【投稿日】2019/10/03 23:14:01 【投稿者】ごうさん |
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