【年末緊急発表】日本人の名字30万種は事実か?
名字由来netや名字・名前・家系図/家紋+神社・お寺ニュースでは、多くの名字研究家や郷土史研究家にご協力いただき、日本に名字はどれくらいの種類があるのかを検証しました。そこで明らかになったのは、日本の名字研究の第一人者であり、系譜学を提唱した太田亮氏や民俗学を創始した柳田国男氏の弟子にあたる丹羽基二氏は、1996年に『日本苗字大辞典』を刊行して約30万以上説を唱えた、という事実です。ところが近頃、この説を否定してテレビなどで約半分の10数万だという人がいるため、ユーザーの皆様やマスコミ各社より名字由来netに問い合わせが増えたものと考えます。
果たして、どちらが正しいのでしょう?
そもそも、名字の数え方には幾通りかあります。古谷と書いても「ふるや」さんもいれば、「ふるたに」さんもいます。中島さんには「なかじま」さんもいれば、「なかしま」さんもいます。このように二つの語がつながって複合語になったとき、後ろの語の最初が濁ることを「連濁」といいますが、名字には中島のほかにも高田、山崎、中川、谷口など連濁するものがたくさんあります。ほかに高と髙のような異体字の変化もあり、数は増えます。
そして、我々、名字由来netが名字研究家や郷土史研究家にご協力をいただき検証をした限り、丹羽氏は1985年に刊行した『日本姓氏大辞典』で十数万種の名字を示し、さらに採集を続けて約30万以上説に至り、丹羽氏は数字の根拠となるデータを明らかにしているということがわかりました。そもそも丹羽氏が名字を網羅しようとした目的は、名字の由来を解く上での材料として使いたいといという考えに基づくもので、数多くのサンプルを必要としました。そこで丹羽氏は全国の名字研究家、名字収集家に協力を求め、彼らが集めた名字を提供するように頼み、丹羽氏の人徳もあって、多くの研究家がこれに応じ、それを出版社がパソコンに打ち込んで完成させたのが『日本苗字大辞典』だった、ということが明らかになりました。
丹羽氏の『日本苗字大辞典』には、実在しない名字が含まれていると指摘されていますが、実際には根拠をもって誰も証明できないようです。なぜ名字ではないもの(しこ名など)まで混じりこんでしまったかというと、全国の名字研究家、収集家から提供されたデータに誤りがあったから、という点も今回判明しました。辞典を出版する際に丹羽氏が校閲でそれらを排除し切れなかったことは事実のようで名字を日本人が作り出した文化遺産という高い意識レベルでとらえていた丹羽氏にとっては、かつて存在していた可能性がある名字は、ほかの名字の由来を解く上で必ず役に立つと判断、過去にさかのぼって実在していない名字を証明するのは難しいと考えたことがわかりました。確かに、各時代の名字データが揃っていないわけですから、存在の完全否定はほぼ不可能です。その点を踏まえ、丹羽氏はあえて「疑わしきは残す」という方針をとり、現在の日本人名字30万種類以上説の根拠となりました。
丹羽氏の説を否定するのであれば、まずは自説の根拠となるデータをはっきりと示す必要があります。そのうえで『日本苗字大辞典』に収録されている約半数の名字が「存在しない」ことを証明しなければ、いつまでたっても10数万という数字には何の根拠がないことも、今回の調査で判明しました。合わせて、存在しない名字を「幽霊」と呼ぶ収集家もいるようですが、幽霊とは、三省堂大辞林によると、①死者の霊。亡魂。② 死者が成仏(じようぶつ)できないでこの世に現すという姿。おばけ。 「-が出る」③ 実際には存在しないものを形の上だけで存在するように見せかけたもの。の意味のようであり、丹羽氏は、先にも述べているように「かつて存在していた可能性がある名字は、ほかの名字の由来を解く上で必ず役に立つ」「ある名字が過去にさかのぼって実在していないことを証明するのは非常に難しい。各時代の名字データが揃っていないため、存在の完全否定はほぼ不可能」という観点から、あえて「疑わしきは残す」という方針で辞典を編さんしたのであって、「幽霊」という表現には該当しないということも判断できました。
丹羽基二氏が1996年に発刊した『日本苗字大辞典』は、現在も名字研究の基礎文献として全国の図書館に所蔵され、参考図書として広く使われています。ちょうど今年で発刊から21年を迎えましたが、いまだに丹羽氏の約30万種以上説を否定するにたるデータを発表した者はなく、氏の説は日本の名字研究における大きな金字塔となっています。丹羽氏の一生を費やした真摯な研究により明らかになった約30万種以上もの名字を考えると、日本は世界でも有数の名字大国といえることが改めて判明する調査結果となりました。
参考:丹羽基二(にわ もとじ 1919-2006)氏
日本の苗字研究家。イタリアのオリエンタル大学名誉教授、文学博士。日本家系図学会会長太田氏や民俗学者として著名な柳田國男氏らに師事して名字研究を始めた。名字本150冊以上を執筆。日本の名字研究の現代の第一人者。