本庄

【読み】ほんじょう,ほんしょう,もとじょう,もとしょう
【全国順位】 1,613位
【全国人数】 およそ9,600人


由来解説

江戸時代の大名家のひとつ本庄家は中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)伊周流(児玉党)。
②ほか清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)。
③桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)。
紀氏(紀朝臣出が多い。竹内宿禰を祖とする。源平藤橘につぐ大姓)。
⑤綾氏。
等がある。
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最終更新:2026/03/08 07:06:21  最終更新者:匿名


本庄さんの多い地域 TOP5

都道府県人数
兵庫県 およそ1,300人
北海道 およそ1,300人
大阪府 およそ820人
東京都 およそ800人
神奈川県 およそ610人
市区町村人数
兵庫県丹波市 およそ320人
兵庫県姫路市 およそ270人
滋賀県長浜市 およそ170人
滋賀県高島市 およそ140人
北海道函館市 およそ130人

本庄さんの比率が多い地域 TOP5

都道府県比率
鳥取県 0.03879%
滋賀県 0.03618%
北海道 0.0249%
兵庫県 0.02381%
秋田県 0.02333%
市区町村比率
北海道島牧郡島牧村 1.807%
北海道上磯郡木古内町 0.964%
北海道松前郡福島町 0.875%
鳥取県西伯郡伯耆町 0.868%
北海道斜里郡清里町 0.866%
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本庄さん有名人ランキング TOP10

名前 生年月日 ジャンル 備考
本庄 道矩 1709年 3月 6日 歴史 美濃高富藩2代藩主、本庄道章長男
本庄 知史 1974年 10月 22日 政治家 衆議院議員
本庄 道貫 1797年 12月 22日 歴史 美濃高富藩9代藩主、伏見奉行、三河吉田松平信明四男
本庄 栄治郎 1888年 2月 28日 研究者 経済学者
本庄 道芳 1604年 歴史 江戸前期の武士、北小路道芳、藤原冬嗣系本庄氏
本庄 玉 1627年 歴史 桂昌院、徳川家光側室、徳川綱吉生母、本庄宗正長女
本庄 繁 1876年 5月 10日 歴史 陸軍軍人(大将)、関東軍司令官、男爵本庄繁家初代、多紀郡有力国人酒井氏家臣本庄氏
本庄 道堅 1733年 5月 22日 歴史 美濃高富藩4代藩主、小諸牧野康周次男
本庄 愛梨 2001年 10月 24日 芸能人 モデル
本庄 道章 1683年 5月 24日 歴史 美濃岩滝藩主、美濃高富藩初代藩主、大身旗本本庄道高長男
※上記は直近一週間のアクセス数Top10です。すべての本庄さん有名人は以下から確認できます。

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戦国武将・大名の家紋


五七桐

上杉笹
本庄さん みんなの名字の由来
天武天皇曾孫の田中多太麻呂が各地の開墾地に本庄や本荘や本郷や本多、松本など本の字をしつこいくらい地名につけています。 先祖孝昭天皇皇后の余曽多本毘売命の字だからです。余目、木曽などの地名もこの先祖が語源です。 本庄を名乗った方々を見ても、田中一族が多いです。 田中吉備のちの中臣豊子(桓武天皇妻、平髙望の曾祖母)の子孫が桓武平氏です。嵯峨源氏田中澄(坂上御井子こと宮人・田中氏の息子)の娘田中保子と、棟貞王(田中の孫の坂上田村麻呂の子孫)が結婚し娘を清和天皇に嫁がせ清和源氏につながります。田中多太麻呂は親戚の紀氏からも妻を娶り、また子孫の嵯峨源氏田中澄の子孫源蔭も紀全子と結婚しています。 田中多太麻呂は藤原御楯と児依の夫妻の娘も妻にしていたので、児依と御楯の先祖麻貫玉取から児玉の地名を作り子孫が名乗っています。坂上田村麻呂はこの血筋でした。田中は坂上には東北で先祖仲麻呂の名字藤原を名乗らせ、現在坂上家は佐竹藩の藤原から佐藤姓になっています。 秋田には本荘という地名をつけています。本城や本条もあり地名ダブり予防のため字を変えたと思います。 本のつく地名に源平が集まったのは、寺で先祖の歴史を学ぶため、先祖の字だと分かるからでしょう。子孫が源平となり皇室を飛び出たのは、天皇争いの冤罪で大事な先祖をたくさん失い、遺児として高見王が理不尽な処遇をされたことが発端です。田中は子孫の源平を受け入れるくらいの開墾私有地を持ちましたし、必ず先祖の字を地名につけていましたので、源平は地名から先祖地を判断しやすく、移り住み地方で勢力を拡大させました。藤原道長や豊臣秀吉や徳川も田中の子孫です。
【投稿日】2026/03/08 08:04:44
【投稿者】妹子と天武天皇と坂上と鎌足の子孫・小町さん
児玉党本庄氏は、平安時代から鎌倉時代にかけ武蔵国で群雄割拠した武蔵七党一角を占め、かつ最大勢力の集団を形成していた武士団・児玉党を構成していた。

児玉党の旗頭(本宗家)を務めた庄氏本宗家から派生した庶家であり、備中国の本補地頭を預かった庶子家の庄氏のうち、地元(現本庄市)に残った分家が本庄氏を名乗り始めた。

庄氏が本庄氏を名乗るようになったのは12世紀末から13世紀中頃、つまり鎌倉幕府が創立した頃と考えられている。

正確には、庄小太郎頼家(児玉党本宗家6代目)の弟である時家が、本庄氏を名乗り始めている。

現在の埼玉県本庄市周辺がかつて居館・居城を構えていた地域である。


児玉党の本宗家4代目である庄太夫家弘が、児玉氏から庄氏(荘氏)を名乗り、現在の本庄市栗崎の地に館を築いたと考えられ、その嫡男で5代目を継いだ庄太郎家長が一ノ谷の戦いで武功をあげ、恩賞として備中国草壁荘の地頭職を与えられる。

そして庄氏は武蔵から備中の領土へ移り、備中庄氏として西日本で活動することとなる。

そのまま武蔵国の本拠地に残った庄氏が「本庄氏」を名乗ることとなる。 

本庄氏は児玉庄氏の本宗家を継ぎ、児玉党本宗家となった。氏の意味は「本宗家の庄氏」と言う意味ではなく、「本拠地(本=元=地元)に残った庄氏」という意味で、本庄を名乗ったものと考えられる。

児玉庄氏(=児玉党)本宗家を継いだ本庄氏は、南北朝時代(14世紀中頃から末)では、南朝廷側=新田義貞に就き、児玉党弱体化に繋がった。

15世紀初めの上杉禅秀の乱では、禅秀(犬懸上杉氏)について所領を没収されるも、なお足利氏に抵抗を続けた。

15世紀中頃になると、山内上杉氏に代々仕えることとなるが、五十子の戦い以降上杉氏は負け戦が続き、河越夜戦を初め、北条方に押され続けた末、本庄氏は後北条氏に属すこととなり、小田原征伐で没落することとなる。

南北朝時代、南朝に属したことで新田氏家臣団との親交があり、戦国時代ではその残された家臣達の末裔を本庄に移住させることによって、城下町を一から形成させることに成功している。これは後の本庄宿の基盤となる。

また、戦国期、本庄氏一族の中には成田氏家臣となった一団も存在する。

少なくとも、大別して「家次系本庄氏」と「時家系本庄氏」がある。

児玉党本宗家を継いだのは時家系の方である。複数ある本庄氏関連の系図の中には「頼家系本庄氏」が見られるが、児玉の伝承では、頼家は嫡子を作る前に戦死したとあるため系図の信憑性は不明である。

また、頼家や家次が本庄氏を名乗ったかは疑わしい点があり、確実に本庄氏を名乗ったと言えるのは、家次の子息である朝次と、家次の弟である時家のみである。

ここで記す庄氏分家とは、直系の本宗家に対してであり、本庄氏は歴として庄氏本宗家の子息であるため、児玉庄氏宗家を継ぐことができた。

幕府創立により、武士の領地も裁定によって認定化が進み、領地争いが盛んであった東国は次第に安定していく。児玉党一門も新たに氏を名乗る必要性が低くなり、本庄氏からは新たな氏が派生しなかったものと考えられる。

備中に土着した家次は庄氏本宗家を継いだため庶子家とは言えないが、家次の子息である朝次が、児玉庄氏本宗家の領地(栗崎の地)を継がなかったことから時家が本宗家と位置付けられている。

「本家の庄氏」と言う意味であるのなら、秩父に移住した朝次が本庄氏を名乗っていることは明らかにおかしくこの説には無理がある。

「本庄とは、本家の庄氏の意味である」と長年信じられてきた通説ではあるが、系図研究が進んできた現在では、その説も再検討が必要である。


下記の近世大名〜華族の本庄家は、この児玉党系本庄氏の流れをくむとされる。

公家二条家の家臣本庄宗正の養女(宗正の後妻の娘)である光子(桂昌院)は、大奥入りして3代将軍徳川家光の寵を受け側室となり、徳松(5代将軍徳川綱吉)を生んだ。

これがきっかけとなって宗正の長男本庄道芳と次男宗資は幕臣に取り立てられ、桂昌院の庇護で加増を繰り返されて大名となる。

とはいえ桂昌院の異母兄に過ぎない道芳の系統は、孫の道章の代の宝永2年(1705年)ようやっと美濃国高富藩1万石の小大名になっているにとどまる。

対して桂昌院の同母兄である宗資の系統は急速に昇進し、元禄元年(1688年)には1万石に達し、翌年にさらに1万石加増、元禄5年(1692年)には、常陸国笠間藩4万石に加増転封。元禄7年にはさらに1万石加増された。

息子の資俊も元禄15年(1702年)に遠江国浜松藩7万石に加増転封。宝永2年(1705年)には松平姓を与えられた。

何度か転封あったが宝暦8年(1758年)以降は丹後国宮津藩で固定され、廃藩置県まで同地に在封。

宮津本庄松平家の当主には老中などの要職に就く者が出た。幕末の老中松平宗秀は第2次幕長戦争で独断で休戦協定を締結したために謹慎・蟄居になったが、幕府滅亡とともに謹慎を解除され、新政府の教部省に勤務し復権。

代わりに家督した息子の宗武は、明治元年(1868年)に前将軍徳川慶喜が、政府に反逆を開始した際に勅命に従って松平姓を廃棄し(高富藩主家の「本庄」ではなく)「本荘」に復姓した。

最後の高富藩主本庄道美も、最後の宮津藩主本荘宗武も、明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事に転じたのを経て、明治4年(1871年)の廃藩置県まで藩知事を務める。

明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると本荘宗武も本庄道美も大名家として華族に列す。

版籍奉還の際に定められた家禄は、本荘宗武が現米で2716石、本庄道美が現米で322石。

明治9年(1876年)の金禄公債証書発行条例に基づき家禄の代わりに支給された金禄公債の額は本荘宗武が6万9448円36銭6厘(華族受給者中96位)、高富家の本庄久米が1万2205円9銭5厘(華族受給者中331位)。

明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同月8日に高富家の本庄寿巨と宮津家の本荘宗武は旧小藩知事として、子爵に列せられた。

高富本庄子爵家の初代子爵の寿巨は司法省に勤務して判検事や公証人となり、貴族院の子爵議員にも当選して務める。その子の2代子爵本庄兼則の代に本庄子爵家の邸宅は東京市芝区三田にあった。

宮津本荘子爵家の2代子爵本荘宗義は貴族院の子爵議員に当選して務めている。4代子爵本荘宗正の代に本荘子爵家の住居は神奈川県横浜市鶴見町にあった。
【投稿日】2026/03/08 07:26:08
【投稿者】匿名さん
秩父党系の本庄氏は、桓武平氏秩父氏一族、本庄城(現村上城、新潟県村上市)に本拠を置き、越後上杉氏、長尾氏に従った。

本庄氏は揚北衆の一氏であり、秩父氏の流れを汲み、色部氏とともに越後秩父氏を形成した。戦国時代初期に長尾氏と対立するが、長尾景虎(上杉謙信)の代に長尾氏(上杉氏)に従う。以降戦国時代後期から安土桃山時代において、上杉氏の援助の元、本庄繁長は出羽(現在の山形県庄内地方)に進出し、最上氏とも争った。

上杉氏が陸奥会津に転封されるとこれに従い、慶長5年(1600年)の慶長出羽合戦でも功績を挙げ、上杉氏の120万石から30万石への減封後も、本庄氏は重臣として福島城(福島県福島市)城代を務める。

寛文4年(1664年)に減封で上杉氏が15万石となり福島を失った後は、鮎貝(山形県白鷹町)に置かれた鮎貝城の城代(のち御役屋(陣屋)の役屋将に改称)に代々任ぜられた。

福島での菩提寺は長楽寺、鮎貝は常安寺であり、共に現在も本庄氏の遺品を伝え菩提を弔っている。
【投稿日】2026/01/12 17:24:02
【投稿者】匿名さん
実家のルーツは京都の下級公家です。
天保頃の記録では、花山院家の諸大夫という地位で、従四位だったようです。
【投稿日】2019/03/28 15:48:59
【投稿者】ままさん
みんなの名字の由来 投稿
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本庄さん みんなの家紋のはなし


繋ぎ九つ目
【都道府県】埼玉県

父方のルーツが現在の児玉郡?
詳しいことはわかりません。

【投稿日】2017/09/29 20:52:08 【投稿者】セロリさん

 

※名字の順位・人数は2025年10月時点の政府発表統計および全国電話帳データを元にルーツ製作委員会が独自に算出したものです。
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