朽木
【読み】くちき,くつき,くつぎ,くき,くぎ,くたぎ,くちぎ,きゅうき,きゅうぎ,ぎょうぼく,きゅうぼく
【全国順位】
4,752位
【全国人数】
およそ2,200人
由来解説
朽木さんの多い地域 TOP5
| 都道府県 | 人数 |
|---|---|
| 福島県 | およそ240人 |
| 東京都 | およそ220人 |
| 千葉県 | およそ210人 |
| 神奈川県 | およそ180人 |
| 岩手県 | およそ180人 |
| 市区町村 | 人数 |
|---|---|
| 福島県伊達郡桑折町 | およそ130人 |
| 千葉県茂原市 | およそ100人 |
| 富山県射水市 | およそ90人 |
| 岩手県岩手郡岩手町 | およそ90人 |
| 福島県福島市 | およそ60人 |
朽木さんの比率が多い地域 TOP5
| 都道府県 | 比率 |
|---|---|
| 岩手県 | 0.01492% |
| 富山県 | 0.01486% |
| 福島県 | 0.01354% |
| 山形県 | 0.00428% |
| 千葉県 | 0.00344% |
| 市区町村 | 比率 |
|---|---|
| 福島県伊達郡桑折町 | 1.068% |
| 岩手県岩手郡岩手町 | 0.647% |
| 福島県伊達郡国見町 | 0.326% |
| 山形県西村山郡朝日町 | 0.163% |
| 福井県大飯郡高浜町 | 0.115% |
朽木さん有名人ランキング TOP10
| 名前 | 生年月日 | ジャンル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 朽木 昌綱 | 1750年 3月 5日 | 歴史 | 丹波福知山藩8代藩主、福知山朽木家9代、蘭学者、朽木綱貞長男 |
| 朽木 量 | 1969年 | 研究者 | 文化人類学者 |
| 朽木 倫綱 | 1767年 2月 5日 | 歴史 | 丹波福知山藩9代藩主、福知山藩朽木家10代、朽木舖綱長男 |
| 朽木 綱貞 | 1875年 12月 2日 | 歴史 | 陸軍軍人(少将)、子爵福知山朽木家初代、貴族院議員、工学博士、火薬研究の権威 |
| 朽木 綱張 | 1816年 8月 28日 | 歴史 | 丹波福知山藩12代藩主、福知山藩朽木家13代、膳所本多康禎次男 |
| 朽木 玄綱 | 1709年 10月 13日 | 歴史 | 丹波福知山藩5代藩主、福知山藩朽木家6代、岩村松平乗紀五男 |
| 朽木 舖綱 | 1731年 1月 2日 | 歴史 | 丹波福知山藩7代藩主、福知山藩朽木家8代、朽木玄綱長男 |
| 朽木 綱方 | 1787年 2月 13日 | 歴史 | 丹波福知山藩10代藩主、福知山藩朽木家11代、朽木昌綱次男 |
| 朽木 元綱 | 1549年 | 歴史 | 戦国武将、近江国人土豪朽木谷衆頭領、寄合旗本 |
| 朽木 綱貞 | 1713年 11月 3日 | 歴史 | 丹波福知山藩6代藩主、福知山藩朽木家7代、朽木迪綱長男 |
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| 朽木さん みんなの名字の由来 |
|---|
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佐々木信綱は承久の乱後、功によって近江国高島郡朽木荘(朽木庄)地頭職を与えられた。その後、高島高信(信綱の三男)の次男・頼綱に受け継がれ、三男・朽木義綱が朽木氏を称したのに始まる(宗家の高島氏は高信の長子で頼綱の長兄泰信が継承、義綱の長兄・頼信は横山氏、次兄・氏綱は田中氏の祖となる)。 朽木氏は宗家の高島氏や高島氏分家とともに「高島七党」と称され、高島郡の有力武士団の一つであった。 また義綱の子孫・朽木経氏は、桓武平氏の嫡流池氏の池顕盛の猶子となり、池氏の所領も相続することとなった。 室町時代には足利将軍家に仕え、室町幕府の側近として仕えた。朽木材秀・稙綱・晴綱・藤綱・輝孝が将軍(足利義材(義稙)・義晴・義藤(義輝))から偏諱を受けている。 足利将軍の没落後、朽木元綱は織田信長、豊臣秀吉に従い、大名として本領を維持した。関ヶ原の戦いにおいては西軍から東軍に転じ、戦後は本領9590石を安堵される。江戸幕府の制度が定まる以前の元綱の地位について、「大名に準じる家格」とすることもあれば「近世大名」と見なす見解もあり、その領国が「朽木藩」と表現されることがある。 寛永9年(1632年)に元綱が没すると、朽木領9590石は3子(宣綱が6470石・友綱が2010石・稙綱が1110石)に分割した。これにより織豊政権期に由来する「朽木藩」は廃藩になったという見方がある。 長男の宣綱が継いだ朽木本家(「谷朽木」と呼ばれる)は交代寄合旗本となった。さらに宣綱の子・智綱の代に、弟2人(良綱1000石・元綱700石)へ分知したため、本家は4770石で明治維新を迎えることとなる。維新後士族(士族の朽木本家)。 なお、宣綱の子の一人高通が母方および妻方の京極姓を名乗り、丹後峰山藩の大名となった。 朽木元綱の三男・朽木稙綱は徳川家光に出仕してその側近となり、若年寄に就任した。寛永13年(1636年)に加増を受けて1万石の大名となった(この時期の居所の所在ははっきりしないが、稙綱の藩を「朽木藩」と称することがある)。その後もたびたび加増を受け、下野国鹿沼藩(2万5000石)から常陸土浦藩(3万石)に移封。 稙綱の子・稙昌は丹波福知山藩に3万2000石で再度移され、以後この家は福知山藩主として廃藩置県まで存続した。維新後華族の子爵家(朽木子爵家)。 交代寄合の朽木宗家の幕末維新期の当主は朽木之綱。之綱は、王政復古後の慶応4年・明治元年(1868年)2月に朝廷に早期帰順の許可を求める請願書を提出。その中で「居邑朽木に退き、徒に万石以上に準ぜられ、隔年幕府へ交代仕り候えども、祖先以来勤王の遺志失わざる様、居邑に於いて皇都の御為山中関門相守り罷り在り候故、叙爵に加えられず候義は固より、二百余年の間近畿に在りながら天日を拝し奉らず、空しく庶流の輩より下等に列し候段、世々多年宿鬱の賤情、恐れながら御垂憐成し下され候様伏して願い奉り候(我が家は、居住する朽木村に退きましたが、いたずらに万石以上に準じられて、旧幕府に隔年交代で仕えさせられましたが、祖先以来勤王の意志を失わないよう、この村において皇都のため山中関門を守ってきました。そのせいで叙爵を許されなかったことをはじめとして、二百余年にわたり近畿にありながら日の当たらぬ身にされて、庶流の家より下等の地位に貶められてきました。そのことに我が家は長年にわたり苦しんでまいりました。恐れながら、我が家にお情けをかけてくださりますようお願いいたします)」と書いており、庶流が諸侯、嫡流である自らの家が、結果として交代寄合にしかならなかったことへの不満を述べている。 この請願に対し、同年5月に朝廷から早期帰順が許可され、朽木宗家は朝臣に列して中大夫席を与えられた。明治2年12月に中大夫以下の称が廃されると士族に編入。之綱は明治元年5月30日付けで弁事役所に「諸侯並」扱いを求める請願書を提出し、ついで明治2年4月14日にも弁事役所に諸侯列昇格の請願を行っているが、結局諸侯への昇格は認められなかったため、同家は士族のままであった。 最後の福知山藩主朽木為綱は、明治2年(1869年)の版籍奉還で知藩事に転じるとともに華族に列し、1871年(明治4年)の廃藩置県まで知藩事を務める。 版籍奉還の際に定められた家禄は現米で1333石。明治9年8月5日の金禄公債証書発行条例に基づき家禄と引き換えで支給された金禄公債の額は3万6680円7銭(華族受給者中151位)。当時の為綱の住居は東京市麹町区六番町にあった。 華族令施行で華族が五爵制になったことにより、1884年(明治17年)7月8日、朽木綱貞の代に旧小藩知事として子爵。綱貞は陸軍軍人として少将まで昇進し、陸軍砲工学校教官、陸軍火薬研究所所長、陸軍科学研究所第二課長、陸軍造兵廟火工廟長などを歴任したことで工学博士の学位も取得。 その後、池田侯爵家から綱博が養子に入って子爵位を継いだ。 朽木子爵家の邸宅は昭和前期には東京市渋谷区原宿にあった。 |
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【投稿日】2026/01/11 09:22:05 【投稿者】匿名さん |
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私の家の名字がどの時代から始まったのかはわからないのですが、これは祖父の話しになります。朽木家は富山にて網元(いつからしていたのかは不明)として生活を営んでいたようです。また、町内の人とお金を出し合って互助会のような事をしていたようです。本家には昔、刀剣と甲冑(誰のものかは不明)があったようで質に入れてしまったようです。
家紋は滋賀の朽木姓と同じ家紋を使用しています。 家のルーツを知りたく投稿させていただきます。 |
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【投稿日】2024/10/12 21:44:36 【投稿者】くちきさん |
| 昔富山県で北前船を営んでいて屋号が湊屋。12代位続いたそうですが度重なる海難事故により途絶えたようです。対馬には海難事故により命を落とした先祖の墓があります。富山県にも墓はあるようです。名字の由来というか戦国時代に大阪の陣で豊臣側に就いた朽木と言う武将の名字を貰ったとしか聞いていません。ですから朽木と言う武将の血を牽いている訳ではないようです。 |
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【投稿日】2019/04/19 14:56:25 【投稿者】kitamaibuneさん |
| みんなの名字の由来 投稿 |
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